<疑心暗鬼を生ず>
工事のコンサルタント案件のはずが販売まで手がけることになってしまった。支払いでこれまでの蓄積は半分がなくなる。黒木は心の底から人というものが分からなくなってしまった。コンサルタントの依頼主である不動産業者も知らない間柄ではなかった。互いに信頼の絆で結ばれていると思っていた。ところが風向きが変わると人は損害から逃げるために姿までくらましてしまう。仕事の基本は人にできる限り迷惑をかけないことだと信じこんでいた黒木にとっては、まさに晴天の霹靂(へきれき)だった。
けれども愚痴を言っている暇はなかった。支払いで出費がかさんだ分、今度は販売で巻き返さなくてはならないからだ。現地に販売案内所を設置し、毎日毎日、黒木自身が販売の先頭に立った。
この物件が完売するまで、他の仕事は受けない覚悟で臨んだ。それとは裏腹に、もの寂しい季節のリゾートマンション販売は悲壮感に溢れていた。朝から晩まで案内所に詰めても、客は一日に一人、来るか来ないかだった。仮に来てくれても購買には至らないケースばかりだった。それでも黒木は毎日、案内所に立ち続けた。あと10分で誰か来てくれるかも知れない。5分後に誰かが来るかもしれない。期待の多くは裏切られた。土日も潰して案内所に通う。けれども販売がは思うようにならなかった。黒木は自分への愚かしさを嘆いた。
どうして綿密な契約書を交わさなかったのか。海が近ければ巨石があるかも知れないなんて、冷静になれば分かったことではないか。他にも不慮の事態が発生するかも知れないではないか。書式に残る形で契約書に盛り込まなくては泣き寝入りするしかなくなってしまう。なんて愚かなことをしでかしてしまったのだろう。
長く重い空気の案内所で黒木は自問自答を繰り返す。それでもあきらめなかった甲斐があって、物件はほぼ完売にこぎつけた。けれども黒木は自分が許せなかったという。
「不動産業者への怒りもありましたが、自分に対する怒りのほうがずっと強かったです。自分の愚かな行為のために大損害を発生させてしまった。平成2年の暮れに詐欺の嫌疑をかけられ、堂々と仕事ができるようにとの思いから3年の3月に組織化をしました。いよいよ船出してがんばっていこうというときでしたので、ショックは大きかったです。これがもし計画どおりに6月に竣工できていたら、予定どおりに利益を得ていたかと思うと悔しかった」
【柳 茂嘉】
*記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら