<需要ゼロの時代の覚悟>
第一次バブルが弾けた時には、国が景気浮揚策の柱に住宅着工の喚起策を打った。従って1993~1994年当時、将来に対する暗さはなかった。事実、91年から95年の間に設立した会社のなかから、今回の第二次バブル期に躍進した企業が続出したのである。しかし、08年9月のリーマン・ショックから始まった淘汰時代においては、デベロッパーの倒産が続出した。
あとでも触れるが、アームレポ(本社・中央区)の田中社長と情報交換を行なったときのことだ。私たちは「今後2年間、新築マンションの供給がなくても、福岡の市民はなんら困ることはない。しかし、マンション業者・ゼネコンにとっては死活問題である」という認識で一致した。現状が第一次バブルの弾けたときと決定的に違うのは、国の景気経済政策が鈍いということではない。年齢構造が抜本的に変わったこと、つまり人口ピラミッドが逆三角形になり、住宅購買層が激減したことが、決定的に違うのだ。まさに“住宅余り”という現象が起きている。
恐らく、日本津々浦々眺めると、空き家の買い手が見つからないエリアが国全体の60%におよぶのではないだろうか。田舎では、家の持ち主が鬼籍に入ったにもかかわらず、その子どもたちは都市部に出ていてUターンしない。だから空き家になる。そして、その家をタダでも引き取る者がいない。すると、家を崩して更地にするしか方策がないのが現実だ。日本国土の60%がこの寂しい状況であれば、不動産ビジネスをしていくためには相当の覚悟が必要になってくる。“需要ゼロ”という状況に対する覚悟だ。
<再建は容易になってきたが――>
丸美の金丸みたいな、一般素人を騙す犯罪者の倒産も発生した。こんな犯罪企業を再生させようと、悪辣な弁護士らが跋扈(ばっこ)する。一方、理研ハウス(本社・中央区)のように、マンション分譲事業停止という英断を下した企業は光り輝いている。短期間で上場したディックスクロキは、08年10月に民事再生法を申請した。この倒産は色々と話題になった。今思えば、黒木氏の決断は「正解だった」と思う。同社は新たなスポンサーがついて再生した。黒木氏は別会社を設立し、再生の道を歩んでいる。
昔と比較すれば、再建が容易になってきた。金融機関の姿勢も大きく転換している。再生を認める方向にある。現在、ソロン(本社・中央区)が会社整理のタイムテーブルにある。同社・田原社長の責任感には頭が下がるが、「ある時期に、再生に向けた決断をしていた方が賢明だった」と筆者は考える。田原氏のような、独立独歩の精神に武装された事業家は得難い人物であったが、企業戦争の現実は熾烈である。
田原氏の経営者魂を継承しているアームレポの田中社長も、「他人様に迷惑をかけられない」という一心で粘ってきた。だが、ここに至って迷いと後悔が生まれてきている。「法的再生の道を選ぶべきであったか」と自問自答をしているのだ。
対象的に新栄住宅は、マンション分譲主体の事業から多角経営の道に転換した。住宅戸建事業を捨てたときと同じような「脱皮」を、再び選択したのである。激変の繰り返しで企業は永続化する。
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