<バブルに沸く日本の片隅で>
リゾートマンションは大きな痛手になった。黒木が貯えてきた資力の半分もなくなってしまった。それにも増して人を信じてきた心が打ち破られたのが痛かった。販売案内所に立つ日々を送るなかで、黒木はやっと前を向く決意をする。
失敗は失敗。どう立ち上がって、次に何をするべきかを考え直した。「3月に組織化をしているではないか。来るか来ないか分からない顧客を待っているより自分で開拓をしなくては」。黒木は本来の自分の得意なこと、コンサルタント業に力を入れる決意をする。
販売案内所には社員を配し、自分は地元の駐車場を管理する不動産業者などに営業をし始めた。バブル期ということもあり、不動産の活用は引く手あまただった。一件、また一件とこなしていくうちに、いつしか毎月地鎮祭と落成式が行なわれるくらいの繁忙に入っていったのだった。
後ろばかりを振り返っていてはいけない。損失を出したのは仕方のないことだ。利益を上げて、損を解消するようにしなくてはいけない。コンサルタントで上がった利益をリゾートマンションにまわし、少しでも販売価格を下げる努力もした。精力的にコンサルタントを展開し、同時に不動産の開発も手がけるようになった。
自分で土地を購入し、企画、開発して販売する。他人のふんどしではなく、自分の資本を投入して自分で価格をつけて自分で売る。誰に物を言われることもない、立派な商売ができるようになったのだ。コンサルタントの黒木事務所と不動産、建築のクロキビルディングが黒木の両輪として機能し始めたのである。自分で土地を買うためには銀行からの借り入れも必要になった。さすがに借り入れ、組織運営、従業員の生活といった責任を重く感じるようになっていったという。
「自分で買ったものに付加価値をつけて販売することは気持ちがよかったです。いくら利益をあげても人から後ろ指を指されることがないですから。コンサルタント業では得られない経験でした」
黒木の事業は明らかに成長していっていた。苦い経験もしたが、それが活力になったのである。世間に吹く風も黒木を後押ししていた。平成3年当時はバブルまっさかりである。土地神話ができるほど、不動産活用は注目の的だった。おいしそうに見えるものには必ず陰がさすもの。やがて暴力団などが黒木の案件に絡んでくるようになった。
【柳 茂嘉】
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