<頭脳明晰集団が無策>
この「人間・組織は過去を超えられないないのか」というシリーズでは、時代を背景に栄光の時期を過ごした個人・組織は、新しい時代に「何故、変化できないのか」というテーマを分析し追い求めていく。頭脳明晰な集団が恐竜のように敢え無く淘汰される現実を目の当たりにすると「この人たちの優秀さとは特定条件の中でしか発揮できないものなのだ」という結論に達する。しかしながら、時代を超えて生き残ることはさほど困難ではない。
歴史の法則として「時代の激変には上位階層は悲観に明け暮れ、下層者はチャンス到来と認識する」というものがある。平成の100年に一度という大恐慌の寸前、リッチな層は不安に慄(おのの)いた。プアな層は「絶好の機会到来」と奮い立った。そこで、「利権に守られた階層の没落はいい気味だ」と自己満足に陥っては精神的健康を害する。「俺の出番がやってきた」と闘争心を燃やすことから創造的な果実を握れるのだ。
大手新聞社は2期連続赤字が確定した。新聞有料部数の低減はいまのところ経営に打撃を与えるところまでには達していない(いずれ致命的な打撃の要因になるだろうが―)。最悪の要因は広告収入がマイナス500億円と激変したことだ。平成不況は従来の想像を絶するほどにコマーシャル事業を疲弊させた。“ネット広告の台頭に負けた”ことは、時代の趨(すう)勢に流されたことを意味する。そしてダブルパンチとして、“有料部数の低減”という激変が経営を圧迫する。
若い連中が金を出してまで新聞を読まなくなった。5年もすれば若い連中も社会の中堅・中枢に近づくが、突然、新聞の固定読者層に変貌することはまずありえない。過去の業態のままでは新聞事業は確実に構造的不況業種になってしまう。この傾向は10年前から予測されていた。不思議なことは、東大卒の頭脳明晰集団の組織が時代の流れに沿った先手先手の対策を打てなかったという事実である。
かつての“殿様ビジネスモデル”では、まず新聞という権威を信じて購読していた読者の読み賃収入が総収入の60%を占めていた。次に広告媒体神話を背景にクライアントが出稿してくれたコマーシャル収入が40%を支えてくれた。新聞という場を貸す“場貸しの収入”である。この二大収入源によって長期に渡って新聞事業は、我が世の春を謳歌してきたのだ。ところがいまや時代の激変は新聞事業の型を粉砕しようとしている。
<人件費カットしか能がない>
42歳の中堅記者が怒っている。「私の場合、ボーナスが夏、冬で50万円づつ合わせて100万円も減った。他の手当ても減ったから年収ベースで200万の減少になっている。先輩たち(50歳以上)の生涯賃金と比較して我々、40歳前後のそれは2/3になる。だがこれはあくまでも試算だ。想定よりも業績が悪化すれば(予想以上に悪化するのは間違いない)、さらに年収ベースで減額される覚悟が要る。さまざまな改革は緊急の課題になっているが、経営陣は人件費カットのことしか頭にない。増収戦略は皆無だ。聞いたところでは、参議院選挙後の8月ないし9月に希望退職を募るようだ」。
(つづく)
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