仕事はますます増えた。社員数も増加した。黒木はやることが山積みになった。それでも社は独自の路線を貫いた。週休3日制。一週間のうち4日、濃密に仕事をすれば、それで充分。プライベートを充実させてこそ、いい仕事ができると黒木は信じていた。年に2回社員旅行で海外に行った。小遣いも10万円会社が負担した。ボーナスも4.5カ月分支給した。とにかく社員に厚い手当てをしたのだ。
会社は人が動かす。きずなをしっかりと結んで考え方までも一つの方向に向ける。こうすることで組織は強い力を発揮すると黒木は信じていたのである。そして平成4年には、はじめての決算を迎える。
売上は4億円、経常利益が5,000万円。個人でやっていたときよりも、ずっと利益が下がってしまった。けれども黒木は充実感を得ていたのだ。今はこの水準でも、そのうち組織が育って社員が一人前の仕事ができるようになる。そのときにはこれが倍、さらに倍といった具合に伸びていくはず。こう考えるのももっともなことである。初年の経常利益が黒字発進。前途は洋々だった。
「経営者として組織を運営していくときの心境は、今思うと私が大工修行したときの親方のような心境だったのだろうと思います。この若者が1年経ったらどのような人間に育つのだろうかと夢をもらったような気がします。大声で『なんでこんなことが分からんのか』と叱るときも、できる人がやっていないことを言っていました。大工修行のときの親方の指導と同じですね。指導して育てていくということで組織というものを強く認識しました」
ちょうど平成3年をターニングポイントとして不動産価格の下落が始まった。いわゆるバブルの崩壊である。土地は売り手市場から買い手市場に移りはじめる。これをチャンスに感じて、不動産の取引を強化していった。買っては売り、利益を生む。これを繰り返していった。コンサルタント業も同じく力を入れる。他社も資産活用としての不動産投資コンサルタントをやっていたが、暴力団の介入などで勢いをなくしていた。黒木は違う。いったん引き受けたら必ずやり遂げた。途中に何があってもオーナーに迷惑をかけることはなかった。これが信用を生み、次の仕事、その次の仕事へとつながっていったのである。
不動産2割、コンサルタント8割という役割を保ったまま躍進し、それにともなう建築業務の拡大を続けていった。黒木事務所は順調すぎる成長を見せていった。
【柳 茂嘉】
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