<女は強し>
黒木の仕事は人をまとめることでもあった。自分で営業したり契約を取り付けたりすることはできるが、実際に建設やデザインをするのは他社の協力者だからだ。人心掌握には常に力を入れてきた。創業以来の黒木スタイルである。陽が落ちたら現場監督やメンバーを引き連れて接待漬けの日々。楽しみで飲むのではない。自分を助けてくれている人たちをねぎらい、親睦を深めるためである。店を貸し切りにして接待することも多々あった。つまりお金の臭いがプンプンと漂っていたのである。
その芳香は夜の蝶たちも引き寄せた。ホステスたちの一種特有な嗅覚が嗅ぎ分けるのである。黒木にストーカーまがいの接触を図ろうとするものも現れた。
ある日のこと、接待を終えて帰宅すると、自宅の玄関にパンプスがあった。妻の靴にしてはサイズが違う。娘はまだ小学生だから、娘のものでもない。一体、誰がいるのだろうか。黒木は何が起こっているのかさっぱり分からなかった。家の中を確認してまわる。和室で女性が寝息を立てているのを発見した。深夜なので声を荒らげるわけにもいかない。黒木は朝が来るのをまった。
翌朝、朝食にダイニングへ向かうと件(くだん)の女性が、何の違和感もなく食卓についていた。食事を終え、例の女性のほうが先に玄関を出る。追うように黒木が家を出る。黒木は小走りに女性を追いかけ声をかけた。
「ちょっと、一体なにがあったんだ。君はあそこの店の女の子だろう」
「昨日の夜、黒木さんと付き合っています、と奥さんに言おうと思って家までいったのよ」
「付き合ってって、私たちは付き合っていないだろう。金がほしかったのか」
女性は答えなかった。そのかわりにこう言った。
「私が何かを言う前に、奥様が『こんな真夜中にいらっしゃっても黒木は、まだ帰宅していませんよ。今日はもう遅いから、うちに泊まっていきなさい』とおっしゃったの。私は何も言えなかった」
まったく見上げたものである。夫の浮気相手かもしれない女性を家に泊めた上に、朝食までご馳走する。心中さまざまな思いがあったろうに、一切おくびにも出さず、終始穏やかにふるまう。夫の障害になるようなことはしない。結果として貫禄負けした女性が自分の奸計(かんけい)を恥じて帰らざるを得なくなったのである。
黒木が一流のビジネスマンであると同時に妻も一流の妻だったのだ。
【柳 茂嘉】
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