<160%のがんばり>
黒木は社員の疲労を労(ねぎら)いながら、上場へ向けての準備を重ねていった。決算内容は申し分ない。平成13年の上場を前倒しできないかと考えるようになった。
周囲の人は、あいかわらず上場に否定的であったが、それは上場株式を引き受けてくれるはずの証券会社も同じ意見だった。黒木は詰め寄る。
「13年上場と言っていたけれども、これを12年に前倒ししたいのですが」
「それは無茶ですよ」
「無茶、無理は承知の上です。では具体的にどこをどう変えたらいいのですか」
最初に取り組んだのは取締役会の意識の統一からだった。会社の頭脳であるはずの取締役会ですら意識が統一できていない事実に黒木は改めて愕然としたという。ある取締役は将来年商50億くらいいけばいいと言い、別の取締役は「500億は狙える」という。まずは意識の統一をせねばならない。
取締役がまとまったら次は社員全員をまとめる。社員の意識を一つに持っていくのも取締役と同様に難しかった。人それぞれに持っていた思いを束ねる難しさを痛感する。そこがまとまると今度は書式と数字。重ねて仕組みも変えていく。大変な作業だった。先述のとおり、社員は変革に伴う苦痛に愚痴をもらすことも多々だった。とくにスピードを求められる営業部は激しくいらだった。しかし、それも上場のため、よりよい会社をつくるためである。黒木と全社員はくじけることなく上場に向けた改善を続けた。
一つ改善したら証券会社に上場できるかと問い合わせる。新たな指摘を受けて社に戻り改善する。急ピッチだった。これで大丈夫だろうと自信を持って状況を報告に行くと再び指摘を受けて改善に迫られる。この繰り返しだった。社員はときに耐え、ときに怒りを爆発させながらも急な変革についていった。
社員の仕事は新たな仕組みに慣れるまで書類づくりが4割、仕事は6割くらいの割合だったという。仕事6割というが、売上が6割になること、業務量が6割になることは許されないのである。実質100%の仕事を強いていながら、さらに60%強の仕事を加えるようなイメージだったという。仕事ができる時間は限られている。限られた中で濃度を極限まで高めて仕事をせねばならなくなったのだ。ゆとりがないことが社員の疲労を呼び、疲労が愚痴になる。黒木は社員をいたわりながらも上場に向けて不退転の決意で望んでいた。そして平成12年、ついに株式を店頭公開するに至ったのである。
【柳 茂嘉】
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