<引受価格に憤る>
上場の準備は整った。血のにじむ思いで社内の体制を作り直すと同時に売上、利益も確保してきた。やっと監査法人が上場しても大丈夫だろうと首を縦に振ってくれたのだ。黒木と社員の苦労は報われたかに思われた。
上場の目途がたったことで、黒木は主幹事証券会社の幹部と食事会を催すことにした。会食の席上には証券会社のナンバー2も出席し、これまでの苦労談や、これからの明るい未来について話がなされた。一般的な社交辞令を含む歓談のなか、おもむろに現実的な話が始まる。
黒木が問いかける。
「ところで公開する際の引受価格はいくらになるのでしょう」
「今は株式市場が冷えていますからね。高い価格はつけられないと思いますよ」
「高くない、と言いますと具体的にはいくらくらいになるのでしょうか」
「山一證券が破たんしたでしょう(1997年、平成9年)。あれ以来、株式市場は低空飛行を続けているんですよ。今、上場するとしたなら、そうですね、一株350円くらいでしょうか」
黒木は耳を疑った。350円では、これまでの投資がすべて水泡に帰してしまう。創業者利益などと言われるものも、キャピタルゲインなるものも到底得られそうにない。つまり上場の一意的なメリットが得られないのである。黒木は語気を強める。
「350円ですか。それじゃあこれまでの苦労は何にもならないじゃないですか。社員にも厳しい仕事を押し付けなくてはならなかったのですよ。それでは話になりません」
「でも、今の状況を考えるとこれくらいが妥当ですよ」
黒木ははらわたが煮えくり返る思いだった。無理をしながらも協力してくれた従業員に申し訳が立たない。上場を応援してくれた協力会のみんなに合わせる顔がない。
「こんな価格では全然納得できないです」
腹の虫がおさまらない。主幹事証券会社の担当者たちは、それでも顔色ひとつ変えず、主張を曲げない。黒木のすさまじい剣幕に証券会社側がついに言ってはならないひと言を発した。
「それだけ言うなら、株式公開をやめにしますか」
【柳 茂嘉】
*記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら