<心中穏やかならざる公開決意>
「今、公開しても株価はこれが精一杯だと思います。数年待って、市場に活気が戻ったときに公開したらいいじゃないですか」
黒木はあまりのいら立ちに席を立った。和やかな食事会は黒木の退席により、険悪なムードを漂わせたまま終わった。
黒木は東京から福岡に戻った。考えることは引受価格の低さのみ。証券会社との会食の翌日、黒木は中洲で酒をあおりながら、考えを整理していた。
これまでの苦労が黒木の頭をよぎる。2001年の上場計画を1年前倒しして実現しようとしてきた。急ピッチの変革に、社員にも多大な負担を強いてきた。それを証券会社はいとも簡単に数年伸ばせばよいではないか、という。黒木は、あまりにもあっけないひと言に冷静さを取り戻した。引受価格が低いと腹を立てても、数年後送りにしてしまっては皆の苦労を無にしてしまうことになる。関係者たちの夢の実現が自分の双肩にかかっているのだ。一時の感情で動いてはならない。
黒木は決意をした。最初は低くても構わない。実績を積んで、信用が得られたら株価は上がっていくだろう。今は低くても、夢が残るではないか。公開しよう。株式公開で資金を得て財務体質を強化しようと思ったが、それもできなくなる。だが仕方がない。
監査法人も市場も準備は万全だ。あとは主幹事証券会社との連携だけ。そこでつまずいては先には何も生まれない。黒木は意を決して口を開いた。
「すぐに公開する方向でお願いいたします」
山一證券が倒産しなければ。株式市場に活気があったなら。黒木の頭のなかは悔しい思いでいっぱいだった。創業者利益があると聞いていたが、そんなものはまったくない。周囲の期待にも充分に応えられる金額ではない。安値であっても公開をする決意はしたものの、怒りはおさまることはなかった。それだけ黒木は自分の会社「ディックス クロキ」に自信を持っていた。証券会社は自分がどれくらいの想いで経営してきたかを理解してくれているのだろうか。
株式公開までの間、黒木の心中は穏やかではなかった。公開できるという喜びと期待感が大きかったからこそ、社内の変革をやり遂げることができたのだ。その思いのすべてが裏切られたような気持ちさえ沸いてきた。けれども今は証券会社の言い分を聞こう。市場に出たら、きっと自分の思いは通じるはず。結局、引受株価は黒木の思いを加味してか、390円に決定して、いよいよ株式の店頭公開の日を待つだけとなったのだった。
【柳 茂嘉】
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