<上場前の危険な香り>
2000年秋。ダイエーホークスが日本シリーズで巨人に負けて日本一を逃し、残念なムードが漂う福岡の街と気持ちを同じくするかのごとく、黒木の心もどんよりと曇っていた。夢の上場が現実になる。宮崎から夢を抱いて福岡に来た。上場ができる会社をつくるなんて当時は夢にも思っていなかった。上場企業の創業者になる。思いもよらなかったがゆえに、現実のギャップには落胆させられた。折からの証券不況に伴う引受価格の低さ。先延ばしにするという選択肢もあったが、黒木は応じなかった。2000年に上場すると決めたからだ。腹も立ったが、いったん決めたことは必ず実行する。周囲の期待に必ず応えてきたから今があるのではないか。ここで自説を曲げることは、これまでの自分を否定することにもなってしまう。上場を待ってくれている古くからのパートナーもいる。息子たちに親父が自分の生き様を否定するような姿を見せるわけにはいかなかった。
暗い気持ちを引きずることは黒木には許されなかった。株式公開という大きなステージに上ること。まずはそれからだ。決意した以上、必ず人に感謝されるようにせねばならない。気持ちを切り替えるように努めた。一般に株式を公開すると、創業者利益が生まれると言われる。それも小さな額ではなく、大きな金額である。ディックスクロキが上場するという噂は福岡市全土に広がり、それを聞きつけてか、不埒な輩(ふらちなやから)も接触を図ってきた。
あるときのことである。傷心の黒木の携帯電話が鳴った。数回行ったことのある店のホステスからだった。何の用だと思って電話をとると、数年ぶりだというのに会って話がしたいという。懐かしさも手伝い、黒木は夕食の席を設けることにした。
当たり障りのない会話を交わし、食事は進んでいく。当時は見向きもされなかったホステスが自ら連絡をとってきたのだ。黒木は気分がよかったと同時に、頭の中には疑問符がつきまとっていた。なぜ今ごろ。食事も終り、場所を変えて飲むことになった。そのあたりから女性の態度がなにやらおかしかった。妖艶な雰囲気をかもしだしていた。明らかに誘惑してきている。黒木はとっさに危険を察知した。理由は分からないが、とにかく危ないと感じたのだという。店を出て、すぐにタクシーを拾い、車代を持たせ一人で帰らせた。後日、黒木のもとに見知らぬ相手から電話がかかってきた。
「オレの彼女に手を出して、いったいどういうつもりだ」
【柳 茂嘉】
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