山口県内最大のショッピングセンターであるシーモール下関(JR下関駅に隣接)から、ダイエー下関店(年商約40億円)が今秋の10月の契約更新を断念し、撤退することが分かった。シーモール下関は1977年に開業。開業当初から下関大丸、ダイエー下関店、専門店街の3者による磐石な体制(いわゆる毛利元就の「三本の矢」の教え)も、33年を経て綻(ほころ)び、その一本の矢が折れることになった。
ダイエー跡の店舗は専門店街とする計画で、専門店街の売り場面積は、現在の2万1千平方メートルから約1.5倍の約3万2千平方メートルになる。後継テナントの入居がスムーズに行かなければ、「シーモール下関」自体が店舗間競争に敗れる可能性もあり、早急な対応策が求められている。
一方、シーモール下関を支える下関大丸の10/2月の売上高も12億2,600万円(前年比▲10.7%)と低迷しており、昨年12月にオープンした大型商業施設「ゆめシティ」の影響が続いていると見られている。
源平の世を思い起こせば、平清盛は貿易港の大輪田泊(現在の神戸市)を日宋貿易の窓口として財をなし、「平氏にあらずんば人にあらす゛」とこの世を謳歌した。ダイエーも中内功氏により神戸市三宮から「主婦の店ダイエー」としてスタートし全国を席巻したが、源平合戦の最後の砦であった壇ノ浦の戦いに敗れて歴史上から消えた平氏と同様、「ダイエー下関店」の撤退により、中国・四国からその名は消えることになる。
平家物語の「奢れる者も久しからず 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 娑羅雙樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 奢れる者久しからず 唯、春の夜の夢のごとし 猛き者も遂には亡びぬ 偏に風の前の塵に同じ」。生き残りをかけた戦いは緒に就いたばかりかもしれない。
【北山 譲】
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