<血の絆より金の魔力>
黒木には親族取締役のとった行動がまったく理解できなかった。株式公開により、さらに飛躍するチャンスが到来したのだ。なぜ今そこから離脱しようとしているのか。副社長にせよという要求を断ったからなのか。断られることは当然予期できていたはずだ。頭の中には疑問符ばかりが並んだ。わけが分からないが、辞めたいという者を社に残しておくことはできない。黒木は取締役会を開き、取締役辞任の決を採った。辞表は受理されて、取締役は職を辞することが認められた。
辞任した取締役が残した謎は、すぐに霧散することになる。辞任後、時を隔てず持っている株を売り出したのである。会社役員は自社の株式を売ることが禁じられているのだが、お役御免となれば話は別である。禁が解かれ、自社株の売却が可能になるのだ。元取締役は、手持ちの株式をすべて売却した。市場にディックスクロキ株が多く出回ったことにより、株価が下がってしまった。
想像でしかないが、元取締役の考えはこうだったのではないかと思われる。副社長に就任を申し出て、受諾されたら地位と今よりも高い役員報酬を得ることができるようになる。受諾されなかったら役員を辞して自前の株式を売り出して売却益を得る。王手飛車取りのような、自分が決して損をしない二者択一を黒木に迫ったのである。
そういえば。黒木は思い出した。上場前、元取締役は黒木にこう言っていたではないか。
「何だかんだ言っても、信用できるのは親族だけだぞ。他人に株式を渡しても裏切られるのがオチだ。親族なら決して裏切ることはない」
その一言と知人のアドバイスもあって、親族取締役に株式を与えることにしたのだ。その頃から、鬼神のような二者択一を考えていたのかもしれない。結局、いの一番に反旗を翻(ひるがえ)したのは親族だった。この元取締役は売却により3億あまりの金を得、一方で株価は下がることになったのだ。
黒木は、この仕打ちに怒った。元取締役の言葉に乗せられた自分も許せなかった。親族なら裏切らないどころか、一番に裏切ったのが親族なのだ。そんなことなら若手社員に、もっと多くの株式を持たせるべきだった。黒木は怒りに震えた。そして、それ以来、その親族とは、まったく疎遠になってしまった。金の魔力に取り付かれると、血の絆まで断たれてしまう。黒木は改めて金の怖さを思い知ったのだった。
【柳 茂嘉】
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