<次の一手への期待>
親族取締役の謀反とも思える行動に黒木は激しく落胆し、憤怒の情があふれ出した。身内と信じて、能力、立場以上の株式を預けた己の不甲斐なさにも腹が立った。身内の情にも勝るお金の魔力を改めて痛感した。以来、この元取締役とは縁遠くなってしまったが、黒木は、これもいい勉強になったという。
「管理部を任せていたのですが、組織のなかでは浮いた存在にもなっていました。親族ということで社内でも特別な立場にあり、社員のなかにもその取締役に遠慮するようなきらいがありました。辞任して株式を売却されたのは、正直言って痛手にはなりましたが、組織が健全化されたのはよかったと思っています。親族に裏切られるというのは後味が悪いですが、これからの私の人生、社員の人生のほうが重要ですから」
これ以降、ディックスクロキの成長を阻むものは何もなかった。株式を公開したことで銀行との折衝もやりやすくなる。顧客も安心して任せてくれるようになった。会社は規模拡大を続けていった。
メディアは若手不動産業の旗手として黒木を取り上げた。大手新聞社から地元の雑誌社まで取材が引きも切らず行なわれた。取材されることでディックスクロキの知名度は格段に上がり、それが数字にも現れていた。順調に推移、この言葉は当時のディックスクロキにこそふさわしい、そう思えるほどの順調ぶりだった。
取材を重ねるごとに、周囲の期待感の強まりを感じるようになっていく。記者たちが必ずこのように言う。
「黒木さん、次は何をやるんですか」
記者の側からすると、ただの社交辞令だったのかも知れない。もしくは純粋に継ぎの戦略を聞き出したかったのかも知れない。ところがそのときの黒木のなかには上場すること、今の事業をより充実させることしか頭になかった。そこにこの質問である。逆に黒木は追い込まれてしまった。何かやらなくてはいけないのではないか。話題に上るような手を打たなくてはならないのではないか。
公開の翌年、平成13年のことである。黒木はインターネットで物件検索ができるシステムの構築を始めた。シーエムジェイという子会社をつくり、システムづくりを担当させた。 記者の声からひねり出した「次の手」である。
【柳 茂嘉】
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