<東京事務所で意外な来客>
新たな一手、期待に応える施策としてのインターネット物件検索システム構築。結果として、この事業は失敗に終わるのだが、現在のインターネット普及状況を考えると時代を先取りしすぎてのことだと分かる。平成13年当時、インターネット人口は5,000万人を突破し、毎年1,000万人規模で拡大していた。だが、まだまだ人口に膾炙(かいしゃ)するまでには至っていなかった。平成22年の今ならばインターネット検索は大きな武器になったであろうが、当時はまだ早すぎたのである。新たな戦術を展開し、話題には上ったが結果は芳しいものではなく、平成15年には撤退を余儀なくされる。投じた資金は10億を超えたが、本業でそれ以上の利益の蓄積がなされていたため、この失敗自体は大きな痛手とはならなかった。
新たなシステム構築には失敗したが、それは枝葉の部分に過ぎない。幹を担う足を使った営業活動は順調すぎる成長を見せていった。
福岡を拠点に始めた会社は、すでに福岡の枠を大きく超えていた。東京、大阪といった大都市での受注も増加し、新たな拠点の必要性に迫られるようになった。
平成14年、東京事務所を開設する。福岡本社の形態で増収増益を続けていたディックスクロキの、本業における次の一手である。メディアに迫られての苦肉の策ではない。黒木が肝いりで取り組んだ策なのだ。東京を含む関東圏での需要が日増しに増えてきたことによる出店だった。ただし、福岡以外に拠点を持つのは初めてのことだった。固定費も当然ながら必要になってくる。
万一、売上げが上がらなかったとしても、増収増益を続ける社の余剰利益でまかなうことができる。利益が生まれればよし、生まれなくても数年は耐えることができる。充分な勝算をもって、黒木は東京事務所を構える決意をしたのだった。
いよいよ本格的に東京へ乗り込む。黒木の胸は期待に膨らんだ。東京へ出店してすぐのことだった。思ってもいなかった客が東京事務所を訪れた。
「福岡に投資したいのですが、いい物件を探していただけませんか」
外資系投資ファンドだった。
【柳 茂嘉】
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