福岡市議会は、26日の本会議で自民党市議団が提出した小学6年までの入院費無料化案を可決した。吉田宏福岡市長が提案した3年生までの入院費を無料とする条例案を修正したものだ。これを受けて、吉田市長が再議権を行使して、可決された自民案を廃案にするのかどうかが注目されている。
再議権は地方自治法で認められたもので、議会の議決について、再度の審議を認めており、米大統領の「拒否権」にも例えられる。吉田市長が再議権を行使した場合、自民案は出席議員の3分の2以上の賛成を必要とすることになり、市議会の構成から見て、自民案の成立は難しいと見られている。
緊張感のある議会は望ましいことだが、今回の市議会の議論にはいくつかの大きな問題がある。
第一の問題は、入院費無料の対象を3年生までにするのか6年生までにするのかという議論が、市民によく理解されていないということだ。そもそも市長案の「3年生まで」という考え方については、なぜ3年生までかという説明が不十分なままだ。市役所や議会関係者に聞いても「財源の問題なんでしょう」という程度の答えしか返ってこない。「市長は秋の市長選をにらんで、6年まで(無料化)にしたかったが、副市長あたりが難色を示したのではないか」といった声もある。選挙目当てに無料化を打ち出したが、財源問題に突き当たり、中途半端な条例案になったというのである。事実ならお粗末極まりない市長だ。
対する自民は、吉田市長を揺さぶる好機と見て、すかさず修正案を提出。可決に持ち込んだものの、財源の問題で裏付けを欠き、弱点を露呈した。これも褒められたものではない。
いずれにしろ市民からすると、条例案の必要性や意義が十分に説明されないまま、政争が行われているとしか見えない。メディアも同じで、どの記事も再議決の動向ばかりに偏り、問題の本質に触れようとしていない。
ふたつ目の問題は、子どもを含めた市民が、相変わらず置き去りにされる市政のあり方だ。
入院費無料化には億単位の財源がともなう。原資は税金だ。しかし、納税者である市民に、施策の是非について聞くという過程を省いたまま議論が始まってしまった。こども病院の人工島移転問題と同じで、市長や議会の体面のためだけにことが進む現市政の有り様は、決して市民のためにはならない。ことが済んでから理解を求めるという手法は、お上意識が抜け切れていないことの証左だろう。拙速はことを仕損じるというが、市民の共感を得られない条例案では意味がないのだ。
政治のあり方についても疑問が残る。今年から「子ども手当」が支給されることが確実となっているが、現金支給に加え、医療費などで無料化が進む現在の社会の状況が正しいものかどうか、地方レベルで議論をすべきではないだろうか。
選挙目当ての「ばら撒き」については、一時的に喜ぶ人たちがいても、長期的展望に立った施策とはいえない。少子化対策、子育て支援の名の下に多額の税金を投入する手法は、決して良策ではない。負担する側の市民の総意、納税者の賛同を得ることこそ政治の役割ではないだろうか。目に見える利益を与えるだけなら、誰にでもできる仕事ということになる。政治はもっと崇高なものでなければなるまい。
今回の福岡市議会の騒ぎは、市民を置き去りにした「不毛の論議」というほかない。市長や市議会に求められているのは、市民を納得させる施策の実現であり、未来への希望を与えることなのだ。
【市政取材班】
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