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企業、人 再生シリーズ

黒木透・再生への道(44)
企業、人 再生シリーズ
2010年3月30日 10:45

<荒廃したマリアクラブを救え>

 黒木が提案した場所は親富孝通りのマリアクラブ跡地だった。ここは70年代に大手大学予備校の水城学園や九州英数学館ができて、予備校生が多く集まったことから親不幸通りとして市民に浸透していった場所だ。若者が集まるようになって、居酒屋などが建つようになり、ストリートミュージシャンがパフォーマンスを繰り広げる場所として徐々に予備校生の街から夜の街へと変貌していった。バブル経済が日本を踊らせていた昭和61年には、九州最大級のディスコ「マリアクラブ」が建てられた。親富孝通りから西に入った場所にあったため、その通りは特別にマリアストリートとも呼ばれるようになったのだった。
 これにより若者文化発祥の地となったのだが、2000年、ディスコブーム終焉に伴い、マリアクラブは閉じられて、以後、まるでバブルのシンボルであるかのように廃墟ビルとして残り続けていたのだ。

 黒木が開発を提案した平成15年当時、親富孝通りには予備校も、ディスコもなくなり、居酒屋街とキャバクラなどだけが残っており、治安もよいとは言えない場所となっていた。閉店以来、どこのデベロッパーも手をつけなかったことからも理解できるように、それほど荒れた場所だったのだ。

 そんな状態であることは黒木も熟知していた。けれども黒木はあえてそこの再開発を外資系投資ファンドに提案したのである。

 その理由のひとつは利便性の高さから。天神の中心部から徒歩で10分程度しか離れていないのが何よりも魅力的だった。もう一つの理由は黒木の街に活気を戻したいという熱意からである。この場所は黒木が若い頃の思い出の地だった。先述したとおり、駆け出しだった頃の黒木の趣味はもっぱらダンスだった。マリアクラブへもよく足を運んだ。店内ではドナ・サマーやジャネット・ジャクソンが大音量で流れて、若者はダンスに興じていた。そんな活気溢れる光景を黒木は思い出していたのである。今の廃れた街に再び光を呼び戻したかったのだ。

 黒木はここマリアクラブ跡地に大型のマンションの建築を提案した。15階建ての大型マンションで様々なライフスタイルに合わせて間取りも幅広く用意した。黒木の提案は外資系ファンドを充分に満足させるものだった。ファンドが投資を約束してくれたことで黒木は開発に着手した。かつての光を失ったマリアクラブの残骸は、やっと安息を得ることができたのである。

(つづく)

【柳 茂嘉】


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