<「作るだけ」では生き残れない>
3月1日、ゲームソフト開発を手掛ける(株)シングが破産手続申請の準備に入った。負債総額は約2億5,600万円が見込まれる。この一報が流れるや否や、国内外で倒産を惜しむ声や、逆に同社を批判するような書き込みが一斉にネット上でなされた。ゲームソフト開発においては一定の評価を得ていた同社がなぜ倒産に至ったのか、その経緯を追った。
(株)シング
代 表:宮川 卓也
所在地:福岡市中央区舞鶴2-1-10
設 立:1999年4月
資本金:1,000万円
年 商:(09/8)2億8,412万円
<当時は息巻いていた>
(株)シングの代表を務めていた宮川卓也氏は、もともと、福岡市に本社を構えコンシューマー(CS)やパソコン(PC)でゲーム開発を手掛けていた(株)リバーヒルソフトのゲームデザイナー。そこで専務だった鈴木理香氏、総務部長だった城内眞保氏(城内氏と鈴木氏は姉妹)、プログラマーだった市丸俊彦氏らと独立し、1999年4月に(有)シングを設立したのが同社の始まりである。
リバーヒルソフトは、テトリスオンライン・ジャパン(株)(福岡市中央区、2005年12月設立)の元代表だった岡崎一博氏が鈴木理香氏らと82年に立ち上げた、パソコン向けのゲーム開発・販売会社。初期からのスタッフとして、宮川氏や市丸氏、そして現在(株)アルティ(福岡市早良区、1999年4月設立)の社長を務めている宮崎慈彦氏らが参加していた。98年10月に(株)レベルファイブを立ち上げ、福岡のゲーム業界をけん引する立場となった日野晃博氏も元リバーヒルソフトのプログラマーだった。
「殺人倶楽部(マーダークラブ)」「琥珀色の遺言」など、とくにアドベンチャーゲームでは業界内やゲームファンからも比較的高い評価を得ていた。一連のシナリオは鈴木氏が、ゲームデザインは宮川氏が手掛けていたという。しかし、97年~98年頃より業績悪化が表面化し、数度のリストラを行ない、その過程で宮川氏らの独立などもあってリバーヒルソフトの経営は立ち行かなくなった。2000年からモバイル向けコンテンツ制作に方針転換するも、04年3月1日にはアルティへNTTドコモiモード公式サイト運営事業のすべての権利を譲渡。同年6月には破産宣告を受けた。
こうしてリバーヒルソフトはなくなったが、その系譜をもっとも受け継いだのがシングだった。新しく会社を設立した後も、質の高いアドベンチャーゲームを開発することで一定の評価を得ており、相応の知名度を有していた。
代表作となった任天堂DSソフト「アナザーコード 2つの記憶」(発売日05年2月24日)の販売本数が13万本、「ウィッシュルーム 天使の記憶」(発売日 07年1月25日)が21.5万本と言われており、「当時のシングは息巻いていた」と同社を知る関係者は語る。
【大根田康介】
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