<水天宮の異変>
ところが、昨年4月に宮司が交代。後任は総本社を崇敬してきた旧久留米藩主、有馬家16代当主の有馬頼央氏。同氏はそれまで神田明神の神職だったが、水天宮の有力神社の宮司に直系として着任したものと思われた。しかし、その後に水天宮の地元への対応に異変が生じた。
とりわけ深刻になったのが店子だ。同神社は境内の建物内に戦前から多数の店舗を擁して代替わりしつつ、いまも花や菓子、煎餅、飲食などの店舗がある。古いところは戦前から続いている店舗もある。これら各店に対し、水天宮は神社の建て替えを理由に2年後の工事着工までにそれぞれに身の振り方を考えて欲しい、ということのようだ。建て替えは耐震強度に問題があるというゼネコンの診断結果があったからだという。
「神社本庁からもそのように勧められているとも言っていますが、地震があってもこの建物はほとんど揺れを感じさせない。地震対策は名目で建て替えて何をしようとしているのか。水天宮の意図がわからない。要は『出ていってくれ』ということなんだろう、とみんな受け止めています」(店子の一人)。
店子には開店して2~3年、常連客がついてきたばかりの店もあれば、「ここを出たら行くあてもない」という老夫婦の古い店もあり、一様に困惑を隠せない。
水天宮側の本音は何か。有馬宮司に取材を申し入れたところ、対応できるのは4月以降ということだったが、氏子との関係見直し、さらにそうした新方針を打ち出す根拠として「水天宮はもともと有馬家内にあった神社」(有馬宮司)という意識があるようだ。
由来はたしかにその通りである。東京の水天宮は参勤交代で江戸詰めしていた有馬頼徳公が、久留米から江戸屋敷に分霊したのが始まり。しかし江戸っ子たちの信仰を集めていたため、毎月5日の縁日に屋敷を開放して参拝を許可。「なさけ有馬の水天宮」として、さらに江戸っ子の人気を高めたといわれる。そして明治時代に現在の蛎殻町へ移って以来は、多くの神社仏閣同様、参拝客のために地元と一体になって各種行事を行なってきた。
「地元と協力してやる節分祭を止めたというのは初耳。昨年、理事長以下の理事が変わり、幹部職員が辞めたということは聞いています。耐震構造うんぬんでの建て替え話もなかったので、新理事会は従来とは違う神社経営を企図しているんでしょう」(職員OB)。
(つづく)
恩田 勝亘【おんだ・かつのぶ】
1943年生まれ。67年より女性誌や雑誌のライター。71年より『週刊現代』記者として長年スクープを連発。2007年からはフリーに転じ、政治・経済・社会問題とテーマは幅広い。チェルノブイリ原子力発電所現地特派員レポートなどで健筆を振るっている。著書に『東京電力・帝国の暗黒』(七つ森書館)、『原発に子孫の命は売れない―舛倉隆と棚塩原発反対同盟23年の闘い』(七つ森書館)、『仏教の格言』(KKベストセラーズ)、『日本に君臨するもの』(主婦の友社―共著)など。
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