<不動産証券化スキームを我が物に>
大型物件がこなせる。これは大きな武器になった。投資ファンドは新たな投資先を求めている。ディックスクロキはじめ不動産会社は大口顧客を求めている。利害が合致したのである。
マリアクラブ跡地のような大型物件は、個人の資産家が遊休資産活用のために開発できるような規模ではない。一方で国内の企業でも、これだけ大きなものになるとなかなか不動産投資には手が出せない。デフレスパイラルに陥っていた当時の日本に、そこまでの余裕はなかったのだ。そこで出てきたのが海外の投資ファンドである。ファンドは特定目的会社(SPC)を立ち上げ、土地の権利を持ち主から預かり証券化する。その証券を広く投資家に販売し、そこで得た資金を元の持ち主に渡す。元の持ち主は土地をSPCに完全に売却したことになり、証券を得た投資家は管理費などを差し引いた利益を投資金額に応じた割合で受け取ることができる。随分と端折っているが、およそこのような構造で成り立っている。
物件が優良であれば、元の持ち主(SPCが買い取るまでの間の持ち主、この場合はディックスクロキ)にとっても、投資ファンドにとっても、投資家にとってもうまい話になるのだ。企画と土地のよささえあれば、ファンドを通じて証券化できる。大型物件を取り扱うには、まさにもってこいの手法なのである。
ただし、SPCが買い取るまでのリスクは土地の売主が背負い込むことになる。いくら手付けを打ってくれているからといって、それ自体を放棄することもありうる。また、竣工までの間に証券ファンドが破たんするかもしれない。その場合は施主であるデベロッパーがリスクをかぶることになるのである。
そのリスクを承知の上で、黒木は外資系投資ファンドと付き合うことを決意した。これにより、大型物件を次々とこなしていくことができた。当然、売上も格段に伸びていった。プロジェクトが大きくなればなるほど、銀行からの借り入れも増えていった。売り先が信用の置けるしっかりとした会社であるため、銀行は融資をためらうことはなかった。借り入れは一時のこと。竣工して売ってしまえば、すべてチャラになり利益が生まれるのだ。しかも黒木のもとには管理部門がある。ここで自社開発物件のアフターフォローまで完全にできる。自転車のペダルを半歩、ディックスが踏み込み、残りの半歩を銀行が踏む。そして宝の山を登っていき、頂を拝んだときに宝が手に入る。そんなシステムができあがっていったのである。
【柳 茂嘉】
*記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら