多様性に富んだ経済構造への転換で 日本中すべての地域にチャンスを
<地方経済の疲弊>
竹中改革プランの46兆円もの国民負担によって、金融機関と企業は不良債権問題の破綻から救済された。超低金利によって、資金調達コストも低下した。この段階で、国民と政府から企業セクターへの、巨大な富の移動が起きたのである。
さらに決定的だったのは、小泉政権でのグローバリゼーションへの対応と規制緩和である。
21世紀に入ると、欧米やアジアの企業と同様に、日本の大企業の大半は生産拠点をコストの安い中国を中心とする海外に移した。さらには、販売の中心も、新興国の成長に伴ってアジアにシフトした。労働賃金が日本の10分の1以下の中国などに生産を移転することで、日本企業の収益は劇的な改善を見せた。しかし、日本企業が生む雇用も税収も、海外に流出するようになった。その一方で、コスト競争が世界的に起き、工業製品の価格破壊現象が起きた。
こうなると、大企業は、国内でもコスト低下による収益向上を強力に進めた。コストが高く簡単に解雇できない正社員を減らし、低賃金であり人員の増減が容易にできる非正規社員を増やした。
小泉政権は、こうした大企業の動きを後押しし、東京一極集中を加速した。三位一体の改革と称して地方に政府の事務の3分の2を移す一方、財源は3分の1しか移譲しなかったから、自治体の財政はいっそう悪化した。そのうえで、地方への公共事業を減らしたから、地方経済はいっそう疲弊した。
東京一極集中は、地価にも現れた。たとえば、東京都心と鳥取市の中心部との地価の格差は、2000年から08年の間で16倍から136倍に開いた。
こうしてみると、小泉・竹中改革は、グローバリゼーションと規制緩和のスローガンのもと、製造業の大企業の「脱日本化」を促進したが、取り残された日本社会の「脱工業化」は進めなかった。それどころか、東京一極集中と太平洋ベルト地帯中心の国土構造を、いっそう強化してしまったことがわかる。大企業の雇用も税収も海外に流出したから、企業の全世界での利益が増えても、残された国民の所得も政府の税収も減った。
アメリカに面した太平洋ベルト地帯だけに、アメリカの消費者が好む製品の工場を集中させ、世界中から安い材料を買ってきて、安くて品質のいい製品を作り、アメリカの消費者に売る。ここに集中したことが、日本経済のビジネスモデルの成功であった。しかし、世界は変化した。生産も消費も、成長の中心は新興国になった。
【シンポジウム「激変時代の日本 地域自立の新ビジョン 鈴木宗男vs山崎養世」】
日 時:2010年4月19日(月) 17:00~(開場16:00)
会 場:アクロス福岡 福岡シンフォニーホール (福岡市中央区天神1-1-1)
会 費:5,000円
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