鳩山首相が出した答えは、結局、沖縄への負担継続だった。政権への不信感と失望は頂点に達しようとしている。
鳩山首相は23日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題で、移転先を辺野古(名護市)の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部とすることを明らかにした。仲井真沖縄県知事、稲嶺進名護市長らとの会談で表明したものだ。
「最低でも県外」「5月末までの解決」といった一連の首相発言は何だったのだろう。
民主党は2008年7月、沖縄に関する同党の考え方をまとめた「民主党21世紀沖縄ビジョン」(2002年発表)を再改訂(2005年に1度目の改訂)し、「沖縄ビジョン(2008)」を発表した。
このなかには、《在沖縄米軍基地の大幅な縮小を目指して》と題して、『日本復帰後36 年たった今なお、在日駐留米軍専用施設面積の約75%が沖縄に集中し、過重な負担を県民に強いている事態を私たちは重く受け止め、一刻も早くその負担の軽減を図らなくてはならない』と記した上で、普天間基地問題について次のような提言を行っている。
《普天間米軍基地返還アクション・プログラムの策定》
『普天間基地の辺野古移設は、環境影響評価が始まったものの、こう着状態にある。米軍再編を契機として、普天間基地の移転についても、県外移転の道を引き続き模索すべきである。言うまでもなく、戦略環境の変化を踏まえて、国外移転を目指す。
普天間基地は、2004 年8 月の米海兵隊ヘリコプター墜落事故から4 年を経た今日でも、F18 戦闘機の度重なる飛来や深夜まで続くヘリの住宅上空での旋回飛行訓練が行なわれている。また、米国本土の飛行場運用基準(AICUZ)においてクリアゾーン(利用禁止区域)とされている位置に小学校・児童センター・ガソリンスタンド・住宅地が位置しており、人身事故の危険と背中合わせの状態が続いている。
現状の具体的な危険を除去しながら、普天間基地の速やかな閉鎖を実現するため、負担を一つ一つ軽減する努力を継続していくことが重要である。民主党は、2004 年9 月の「普天間米軍基地の返還問題と在日米軍基地問題に対する考え」において、普天間基地の即時使用停止等を掲げた「普天間米軍基地返還アクション・プログラム」策定を提唱した。地元の住民・自治体の意思を十分に尊重し、過重な基地負担を軽減するため、徹底的な話合いを尽くしていく』。
鳩山首相が公言してきた「最低でも県外」は、この沖縄ビジョンを下書きとするものだろう。沖縄県民の思いを忖度すれば、方向性を示すものとしては間違っていない。しかし、鳩山政権は普天間問題でつまずき、政権基盤だけでなく民主党の屋台骨さえ揺るがしかねない事態を招来した。
事態を複雑にしたのは、鳩山首相が米軍普天間飛行場の移設問題について、「5月までの決着」を明言したことである。
もともと普天間飛行場の県外移設やその解決期限については、昨年8月の総選挙向けのマニフェストには何も書かれていない。民主党の国会議員でさえ「なぜ5月と言ってしまったのか分からない」と首をひねる。
ある民主党関係者は「参院選前に懸案を解決し、弾みをつけたかったのだろうが、もともと腹案などなかった。首相としての覚悟も、見識もなかったということ」と突き放す。
大騒ぎした挙げ句、日米が大筋で合意したのは、ほぼ自民党政権時代の現行案に近い名護市辺野古地区への移設。鳩山首相がどんなに詭弁を弄しても「詐欺」との批判は免れないだろう。「最低でも県外」は反故にされ、「5月までの決着」は事実上守られそうもない。首相は決着の前提に「地元の合意」「連立政権内の合意」を挙げてきたからだ。
沖縄からは「裏切られた」「公約を守れ」といった怒声。県内移設反対の運動は激しさを増すだろうし、県外移設を党是とする社民党・福島党首を抱え、閣議での合意さえ得られない状況である。
民主党が政権を取って実質9カ月。普天間飛行場問題が象徴するように、新政権はまさにダッチロール状態だ。沖縄ビジョンの実現はもちろん、公約を守るという政治の原点を見失わないでもらいたい。できないのなら退陣して人心一新を図るほかあるまい。
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