総合通販から専門通販、関西から九州へ
2009年12月、「改正特商法」ならびに「割賦販売法」が完全施行されたことにより、規制強化を余儀なくされた無店舗販売業界。訪問販売規制やクレジット規制など、消費者保護の観点から厳しい制約が課せられた。市場規模が約4兆円(08年度(社)日本通信販売協会発表)とされる通信販売業界においても、ある一定の条件下では返品期間が8日間に延長されるなどの保護措置がとられている。健康食品産業のなかで唯一善戦しているのが通信販売業界。(社)日本通信販売協会(JADMA)は507社の通販会社を会員とし、業界の健全な成長をサポートしてきた。同協会理事で主幹研究員の柿尾正之氏に、同業界の歩みを振り返ってもらいながら、今後の課題と展望を聞いた。
<ブランド力で認知度アップ>
―(社)日本通信販売協会の成り立ちについてお聞かせください。
柿尾 当会は1983年に設立されました。27年前となると、通信販売や訪問販売、互助会という業種がまだ社会的な認知を受けていない頃のことです。これらの業態は国から見ると、百貨店などのリアル店舗に比べて無店舗販売という位置づけとなり、特殊販売的なイメージがあったようですね。消費者を守らなければならないというスタンスの行政の意識は、今も脈々と続いているような気がします。店舗では消費者が商品を自分の目で視認して、レジを通して商品を持ち帰るというリアルな過程を踏むのに対し、商品選択も流通も目に見えないところで行なわれる消費者保護の必要性があると判断されたのではないでしょうか。
それでも当時は欧米で通信販売業界が伸びている時期でして、訪問販売法という法律はありました。自主的に「倫理綱領」を作ってルール作りをしてレベルを高めていこうという業界の気運もあり、さらに業界の発展やイメージアップを図るため、当時の通商産業省(現・経済産業省)と話し合って協会をつくることになったのです。当初は91社でスタートしました。
―会員構成は。
柿尾 当時はカタログ通販会社がメインでした。TV通販では二光などのスポット型通販会社、ほかにチラシなどを利用する紙媒体会社、当時は通販大手といえば総合通販企業が占めていました。品揃え的には量販店の直販版ですね。
取扱い商品は衣類関係や雑貨が中心でした。当時はまだチルドや冷凍などの保冷システムが整っていないため、お客様が通販で食品を購入することは少なかったようです。
当時、業界をリードしている企業はディノス(東京)や高島屋(東京)で、ブランド力のある通販ほど強かった。実際、当協会の初代会長がディノス、2代目が高島屋から輩出しています。
高島屋は当時700億円の売り上げがありました。主体となる会社の名前にブランドのあるところが多く、それによって消費者は通販自体は信用してはいないが、高島屋やディノスの通販だったら信用するという傾向がありました。外国製の雑貨やレコード全集を販売していたソニー・ファミリークラブ(東京)などもそうでしたね。これらの企業が世に出ることによって、通販という手法が少しずつお客様に認知されはじめ、通信販売の市場拡大の土壌を固めました。そして次の時代がニッセン(京都)や千趣会(大阪)、ムトウ(兵庫、現・スクロール)などの台頭によって築かれます。
(つづく)
◆健康情報サイトはこちら >>
健康情報サイトでは健康・食に関する情報を一括閲覧できるようにしております。
*記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら