<ある患者との出会い>
── 医師として一番心に残っていることは?
秋野 私が研修医1年目の時、あるご婦人と出会いました。ご婦人は80代後半で、山登りが趣味というくらい健脚だったそうですが、突然歩けなくなった。病院を転々としたけれども原因がわからず、最後の望みをかけて大学病院に来られたのです。私が主治医となり、「HTLV‐1」というウイルスに感染していることが疑われたのですが、私は結局ウイルスを見つけることができませんでした。HTLV‐1の感染者は九州に多いようですが、血液に入ると白血病を起こし、神経に入ると足の先から順番に麻痺がくる病気です。母乳から感染しますから、お母さんがもしHTLV‐1に感染していることがわかったら、母乳を止めるという方法で予防をすることが可能です。しかし、ウイルスを見つけることができなければ診断を下せない。
診断不明のままご婦人を帰すという指導医の決定を聞いた時は、本当に申し訳ない思いでいっぱいでした。1人の患者さんにどこまで尽くせばいいのか、という大きな疑問を持つことになった経験でもありました。
ところが、同じ日、同じ病院に、私は移動、そのご婦人は転院することになりました。なんと、私は1日も空けずに再び主治医になったんです。思わぬ再会でした。しかし、今度は、指導医はいないわ、大学のような設備はないわで、患者と一対一の日々が始まりました。半年、1年、1年半。もう何でもやってみましたが、診断がつけられません。ご婦人からは、「私はどうなるのでしょうか」と聞かれて、何にも答えられない。もう会うのが辛い。顔を見るのさえ辛い日々でした。私は、島原の病院に行きながら大学に通っていたのですが、遺伝子増幅法という方法を思いつきました。調べてみたら、誰もやっている人がいません。自信はありませんでしたが、挑戦して2年目に結果がでました。これが世界で初めての取り組みとなり、医学雑誌では最高峰のThe Lancetという雑誌に取り上げてもらうことになったのです。
なにより嬉しかったのは、ご婦人が、「私も世界一なんですね」と言ってくれたことでした。経験の浅い医者が、地方の民間病院で世界に通用する結果を出すことができたということは、私が患者さんと一緒に力を合わせて「諦めない医療」を行う原点となりました。
<政治の場で目指すものは>
── 医師・秋野が政治の場で目指すものは何ですか?
秋野 アレルギー疾患対策基本法の制定は、何としても、やりたいと思っています。国民の3分の1が何らかのアレルギー症状に苦しむ時代になっています。それにもかかわらず、苦しんでいる人達が結集できる場所というのがないわけです。基本法がありませんから国の役割も曖昧だし、自治体の役割も曖昧。医療機関も企業も学校も、みんな、やるべきことはやらなければ、と思っているのですが、基本法がないせいで、それぞれの役割が明確になっていない。この現状は絶対変えていかなければなりません。
── がん対策については?
秋野 私は、がん対策はやはり「予防」という観点が重要だと思っています。例えば、胃カメラを毎年受けていれば、仮に胃がんになったとしても、早期発見が可能で、手術などの治療によって乗り越えることができます。これは大腸がんも同じです。毎年、大腸検査をしていただきますと、がんになったとしても早期です。これも乗り越えることができます。公明党は昨年、乳がんと子宮がんに対して、クーポンを配らせていただいて、女性が検診を受けやすい体制というものを整備させていただきました。このクーポンのおかげで乳がんが見つかり、小さい手術で乗り越えることができたという喜びの声も聞かせていただきました。
【秋野公造氏プロフィール】
平成4年に長崎大学医学部を卒業し、同大学院へ。 アメリカ留学を経て、平成18年より厚生労働省に出向。疾病対策課、血液対策課の課長補佐を歴任。平成21年からは東京空港検疫所支所長に就任。同年厚生労働省退職。
医学博士・長崎大学客員教授。公明党青年局次長・国際局次長。
受賞歴:社団法人日本内分泌学会 若手研究奨励賞/ヨーロッパ組織再建学会 若手研究奨励賞/日本創傷治癒学会 研究奨励賞/アメリカ・日本創傷治癒学会ジョイント学会 第1回優秀演題
著書:「健康ニッポンを造る!」(潮出版社刊)
趣味・特技:スキューバーダイビング、サイクリング
好きな食べ物:果物
好きな映画:レッドクリフ
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