<荒津さんいつまで働いているの>
城南区に荒津工務店という会社がある。荒津社長は1937年生まれだ。70歳を超える頃から同窓会で嫌味を言い続けられてきた。「おい!!荒津君、君が65歳の時に現役でバリバリやるのを見て、羨ましかった。『経営者は好きなときに引退できるが、サラリーマンには定年という運命がある』と妬んでいたものだ。ところが70歳過ぎても必死で働く君の姿を見ると哀れでならぬ。最後の残された人生を楽しまなくてどうするのだ。一体いつまで働くつもりなのかな」と、役所OBが宴会の席で必ずと言っていいほど耳打ちしてきたという。
「何を言う!!俺は貴様らサラリーマンよりも、10倍人生をエンジョイしてきたぞ。稼ぎが違うから、海外旅行にもお前らの10倍行ってきた。興味本位でいい加減に干渉するな」といつも腸(はらわた)が煮えくり返っていた(たしかにピークは年収3,000万円超えることもあったが、この10年間は3分の1に減少した。額面では役人の生涯年収よりは上回るだろう。だが、「リスクを背負ってきた中小企業の経営者にしてみたら、さほどの開きはない」というのが荒津さんの本音である)。
ところが、どうしたことだろう。思考がチェンジしだしたのは、70歳を過ぎてからだ。「そうだなー。会社経営から離れて最後の人生を楽しむのも悪くない。家内も元気なうちに一緒に世界一周のクルージングをしてみるか。まー他人様に迷惑をかけずに動けるのはあと10年しかない」と思考が回転しだしたのだ。そこで会社の清算の道を検討し始めたところに、福岡市から打診があった。同社の本社事務所に隣接したところに友泉亭公園がある。この公園の拡張のために、本社敷地買収計画が持ち上がったのだ。荒津さん!!貴方は運の良い人だ。だから綺麗に会社が清算されるのですぞ。
<無理な後継をさせない>
荒津さんは、抜かりのない人だ。かなり以前から事業継承の手は打ってきた。まず、奥さんの実弟を次期社長に目論み、別会社の社長にした。だが、大きな赤字を発生させてしまった。この社長候補は赤字のプレッシャーに潰れたのである。次に、娘婿を次の後継者に仕立てようとした。好人物である。しかし、人の上に立って厳しいことを言えない、采配を取れない人柄であった。「トップの器でないのだから、本人を苦しめることになる。無理に後釜にしたら、本人・家族・会社すべてが不幸になる」と判断した。
その他の人材も物色したが、安心して荒津工務店を託す人材には遭遇できなかった。そこで再検討したのが、M&A(企業買収)の解決策である。荒津さんの依頼でデータ・マックスも躍起になって買収先を探した。幾多かの企業が候補に上がった。しかし、商談の行きつくところは、決まって『荒津工務店=オール荒津さん』という難題だ。荒津工務店の価値を付けようとしても、「オール(すべて)荒津さん」の存在・評価になってしまう。結局のところ、さまざまな縁談は流れてしまった。本人も落胆したことだろう。
そこで降って湧いてきたのが、先ほどの友泉亭公園拡張計画の話であったのだ。ここで荒津さんは決断した。「店仕舞いのチャンス」と読んだ。銀行に借り入れを完済して、一般債権者には支払い完了する清算はハッピーである。このように廃業できる人は、「幸せ=エリート」だ。
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