<ライバルたちがこけた>
30年の地獄の苦しみから脱出し始めたのは恭輔・勝美両氏のスクラムによる経営体制が確立してからである。まず「良い水創り、人財創り」という経営理念を確定した。そして必死になって社員教育に『時間と金』投入したのである。まず何よりも社員のレベルアップが望まれていた。1990年代になってようやく経営の基礎力を高めることに挑戦できる多少の余裕が生まれたと言えるだろう。
戦略面では1991年に「(株)アクアゼオライト」を設立した。メンテナンス事業を別会社にしたのである。「プラントを納入した実績が増えると当然、メンテビジネスが増える」と読んだ上での布石であった(05年にこの会社はゼオライトに吸収される)。このメンテ重視政策が後々、クローズアップされてくる。加えること97年10月には、逆浸透内蔵浄水器「わかみず」の販売を開始した。翌年の98年6月にはRO「わかみず」ミネラルウオーター事業を立ち上げた。そのなかで特に戦略面で戒めたことは「ダンピング受注戦争に巻き込まれない」ことであった。
意外な事態が生じてきたのは2000年になってからである。プラント受注において採算割れで入札から身を引いた先のユーザーから電話がかかってきた。えらく低姿勢な口調であった。「ゼオライトさん、申し訳ないが、うちのプラントのメンテをやって貰えないだろうか?」というお願いであった。同様な案件が続出してきた。本音では「いまさら何さ!」と突き返したかった。しかし、表面上では「承りましょう」と快諾した。メンテの打ち合わせのため、現場に直行してからその背景が分かった。ダンピング受注していた同業者たちが潰れていたのである。
これではプラント所有者は途方にくれるはずだ。恭輔・勝美両氏は「千歳一隅のチャンス」と積極的に対応した。お陰でメンテ案件が急増したのである。もともと陰日向なくお客に奉仕するのが、同社の社風である。「ゼオライトさんは本当に一生懸命になってメンテに励んでくれる」との評判が一挙に拡大された。「ライバルこけて自社は肥える」というたとえ話の利を得たのだ。このように勝利者の栄冠を得られたのは上記の「ダンピング受注戦争」から逃避していたからである。賢明な策が最後には効を奏した結果になったのだ。
<厳しいお客が社員たちを鍛えてくれた>
5年前から仕事の現場が九州エリアを超えた。関西方面からの依頼が増え始めたのだ。そのようななかで、ある大手メーカー工場の現場で問題が発生した。関西ユーザーからの要求は九州の水準と比較にならないほど厳しい。現場は一時、立ち往生したのである。普通ならば恭輔会長が自ら飛んで行ってお客の要望に応えて解決することが慣例であった。だが「待てよ。ここは社員たちの力でトラブルの決着を任せてみよう」と判断を下した。託されたスタッフは不眠不休で頑張ってくれた。ユーザーから許可が下りた時には、全員で感激して泣いて喜んだ。貴重な経験である。
これらの関西、名古屋、東京地区のユーザーから厳しく鍛えられる度に、現場を任されていた社員たちは成長していった。ある意味、社員たちが恭輔博士の技術理論を現場で習得していたのである。こうなると組織の発展のテンポは速くなる。
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