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特別取材

都市未来ふくおか特別清算 福岡都市再開発の挑戦と蹉跌(3)
特別取材
2010年6月10日 15:13

<過去には再開発をけん引>

 こうして見てみると、同氏の経歴はまさに福岡都市再開発の歴史とオーバーラップしていることが分かる。

 小田氏が代表になった頃、すでに都市再開発における同社の役目はほぼ終わっていたと言ってもいいだろう。後に残されていたのは渡辺通地区の土地区画整理事業換地処分だった。今年1月に渡辺通3丁目4号3番などの土地を(株)電気ビルへ約30億円とも言われる額で売却し、同じく3月に同4号12番2などの土地を再春館製薬所系列でキャナルシティ近くの友愛病院を運営する医療法人敬仁会へ売却(額は不明)している。

博多リバレイン そんな同社も、過去には都市再開発をけん引していた時期もあった。博多地区で下川端地区再開発の青写真を描き、福岡玉屋を核店舗として専門店や大型ホテルなどを組み合わせた一大商業施設(のちの博多リバレイン)を計画。地元地権者の反発を受けながらも協議を重ね、また百貨店ゾーンに高島屋、専門店ゾーンにパルコ、ホテルゾーンに東京ドームを誘致する計画を進めるなど一定の存在感を示していた。

 しかし、バブル崩壊の影響もあっていずれもがことごとく頓挫。高島屋は福岡玉屋との共同出資で新会社を設立する予定だったが、93年12月に出資を断念。パルコは奇しくも今年3月天神でグランドオープンしたが、当時は94年6月頃に出店を断念している。東京ドームはテナント料などで折り合いがつかず、パルコと同時期に交渉が打ち切られ、代わりにホテルオークラが進出した。

 田中丸一族の福岡玉屋は単独での出店を余儀なくされたが、経営悪化の理由などから出店を渋り続けた。96年1月、福岡玉屋を中心とし都市未来ふくおかを筆頭株主とした地場企業寄り合い所帯の(株)川端百貨店(99年2月に(株)エスビーシーに商号変更)を設立、故・富重泰行福岡銀行監査役(当時、今年5月10日死去)を社長に迎え新たなスタートを切る構想が打ち上げられた。しかし、役員ポストをめぐり福岡玉屋と都市未来ふくおかの間で軋轢が生じるなど、結束力の脆さが露呈。そうこうするうちに、97年3月に計画が白紙に戻され、福岡玉屋も99年7月に廃業し74年の歴史に幕を下ろした。

 当時のことを知る関係者は「福岡玉屋が進出しなかったのが、ある意味で福岡都市再開発の蹉跌の始まりだろう。対照的なのが岩田屋で、中牟田一族は苦労しただろうが、地元に根を張り地場経済を支えてきた点で評価は高い」と述懐する。

(つづく)

【大根田 康介】


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