成功体験は捨てよ 若者と新技術が切り拓く時代へ
―日本経済が大きく変わるなかで、御社の業績に何か影響を与えましたか。
村上 基本的に影響はなかったと思います。なるほど1年半前のサブプライムローン問題、その数カ月後のリーマンショックで何かおかしくなりそうだなとは感じていました。08年10月以降、半年から1年かけて、皆さん広告予算を一生懸命絞られたと思います。そのおかげで、グーグルは不況と言われるなかでも逆に成長してきました。いわゆるネット上のターゲット広告の効果を認めていただいたということでしょう。
正直に申し上げれば、リーマンショック後の半年から8カ月くらいは全体の広告費が絞られており、グーグルもそれまでのような成長ではなかったかもしれません。とは言え、広告業界全体がマイナス成長になった時代に、引き続きプラス成長していました。
たとえば、私が故郷の大分県に隠棲しようと思って「大分県 中古マンション」と検索すれば、もちろんそれに関するホームページが出てきますが、一緒に広告も出るわけです。ということは、広告が「今から大分に帰ろうとしている村上さんへ」という意味を持ち、「大分の中古マンションでしたらこちらですよ」と狙いをすまして出てくるわけです。広告予算が絞られてくるなかで、広告主さんがそのようなネット広告の効果をされている感じはありました。
そのことも含めて申し上げれば、この間、政権が小泉さんから安部さんになり、その後も覚えきれないくらい首相が変わりましたけれど、そのたびに経済成長も微妙に変わっていったと思います。しかし、グーグルはほとんど影響を受けていないと感じています。
ビジネスという点で、とくに経済というところでリンクするとすれば、やはり売上という私たちの仕事を財務的に支えているのは広告ということになります。その点、アドセンス(Adsense)などに象徴されるようなターゲット広告の効果というものは、評価は上がりこそすれ下がることはありません。
おかげさまで、小泉さん時代特有の経済の浮沈に対してほとんど頓着しないで済むような成長を遂げさせていただきました。
【聞き手:大根田 康介】
<プロフィール>
村上憲郎氏
1947年大分県佐伯市生まれ。70年京都大学工学部卒業。卒業後日立電子に入社。78年日本DECに転職、86年から5年間米国本社勤務、帰国後92年に同社取締役に就任。94年に米インフォミックス副社長兼日本法人社長。98年にノーザンテレコムジャパン(現ノーテルネットワーク)社長。2001年にドーセントジャパンを設立し、社長に就任。03年より米グーグル副社長兼日本法人社長に就任。09年より現職。著書に『村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける』、『村上式シンプル仕事術―厳しい時代を生き抜く14の原理原則』がある。
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