<生かされていることを痛感>
次のシリーズで「中国の勢い」をレポートするが、20年前、福岡の中小企業の経営者達を上海視察に連れて行った。その度に視察メンバーは異口同音に「日本よりも30年遅れている」と自慢げに語っていた。ところが20年過ぎて攻守逆転した。「日本はもう駄目だ。中国の経済力に頼らなくては未来がない」と嘆く。20年前、中国を見下げていた同じ中小企業の経営者が弱気で憔悴しているのだ。「20年前までどうして勢いがあったのかくらい、勉強したらどうなのか」と喝破した。本当に情けないことだ。
この歳になると、冷静に自分の歴史的制約を充分に理解できる。1945年の敗戦から昔の体制が瓦解し「一からの再建スタート」となった。アメリカは日本軍国主義の復活を阻止させるため、軍隊を解散させた(自衛隊として再スタート)。この軍備負担から解放されたことで、日本は経済復興だけに専念できた。軽武装で経済再建に集中すると、日本の強い特性が充分に発揮できる。結果として、1980年から90年にかけて日本経済力のピークを迎えた。この10年間、地方の隅々まで経済発展の恩恵が浸透した。貧困層がほぼ一掃されたのである。
こういう日本の最盛期に生かされてきた我々のような団塊の世代は、時代に感謝しなければなるまい。次の世代の悲惨な運命を予期するにつけても心底、「申し訳ない」と思っている。団塊の世代の連中は「老後をどう楽しむか」という怠惰な考えを捨てて「70歳までは現役で稼いで年金はもらわない」覚悟の生活スタイルを貫くべきだ。「君たち、それぞれ日本社会にどれだけ貢献したのか」と敢えて問いただしたい。「我々は、良き時代に生かしてもらった」という感謝の気持ちを表明する義務がある。
<猪突猛進が成功の条件であった>
今度新たに経営法律事務所を開いたA弁護士は衝撃発言した。「いままで中小企業の経営者はまったく勉強しておらず、経営に関して無知であった。ただ時代の勢いに乗って、猪突猛進で経営拡大をすれば成功したような錯覚に酔っていた。所有した土地が値上がりするから、銀行は黙って貸してくれていたから資金繰りにも無頓着で済んだ。一転してバブルが弾けた。そこで守りの経営が求められたのだが、経営のイロハがゼロであることが露呈してしまう。社員達から裏切られ、惨めな最後を迎えた」という。これはまさしく、A弁護士のドロドロした苦しみの実体験から得た結論である。
たしかに「デフレ=激変時代」に経営をするのは至難の業である。中小企業経営者には様々な能力が問われる。かなりの学習をしないと取り残されていくばかりでなく、消滅していく。すべて自力で対応する能力に欠けるのであれば、各方面の専門家を活用することが必要になってくる。A弁護士は次の通り力説する。「従来の弁護士業のイメージは『トラブルが生じた時こそが出番』という風に定まっていた。私は事前にトラブルを封殺するためのお手伝いをしたい。現在の中小企業経営の環境は非常に厳しい状況だ。経営の専門スタッフのサポート抜きには成り立たない。『経営サポートをすべて引き受けよう』というのが当事務所のミッションだ」と明確な理念を掲げている。
(つづく)
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