成功体験は捨てよ 若者と新技術が切り拓く時代へ
―やはり中国の成長は日本のそれを凌駕するのでしょうね。そうなった場合、日本は中国とどう向き合えばいいのでしょうか。
村上 GDPで抜かれようが、そんなことはどうでもいいのです。当たり前じゃないですか。13億人、日本の10倍の人がいるのですから。
たとえばテレビなどで、上海万博では中国人のマナーの悪さが指摘されていますが、。しかし、1960年代の日本人はきちんと並んでいたのか、割り込みなんて本当にしなかったのか。大阪万博でも洋式トイレの使い方が壁に貼っていたくらいです。北京の空が真っ黒だと言うけれど、1960年代の北九州市や名古屋市、川崎市あたりはどうだったでしょうか。
そんなことは皆忘れてしまったと思います、日本人は。昔から今みたいな生活をしていたように思っているのです。しかし、そんなことはありません。
それはさておき、中国はちょうど1960年代後半の日本くらいになっているわけです。とは言え、日本は東京オリンピックから大阪万博まで6年間かかっている一方で、中国は北京オリンピックから上海万博までわずか2年で辿りついています。ということは、日本の3倍のスピードで成長しているとも言えます。
ものすごい勢いで、13億の人々が一気にわれわれの生活水準へ上昇しようとしてきているわけですから、逆に日本がお手伝いすることは山ほどあると思います。
たとえば、先進国はここまで来るのに試行錯誤したわけですよね。最初に道を切り拓くわけですから。そうすると、中国がこれから8%成長を続けていくとすれば、電化製品の普及に対応できる電力を確保するには、安価で済む石炭の火力発電所であれば今後10年間で1千カ所つくる必要があると言われています。
1週間に2カ所ですよ。それを今の中国にあるようなものをつくられたら環境面で大変です。それを日本製の、脱硫装置もしっかりついたクリーンな発電所を買っていただくと。そうすれば、酸性雨が日本に降り注ぐのも避けられます。その方が幸せ度という意味合いにおいても、日本の高度成長期におけるいくつかの誤りを避けることができます。
こうしたものを技術的に移転する。もちろん、盗まれるかもしれないけれど、そんなセコイこと言わなくてもいいのではないでしょうか。
【聞き手:大根田 康介】
<プロフィール>
村上憲郎氏
1947年大分県佐伯市生まれ。70年京都大学工学部卒業。卒業後日立電子に入社。78年日本DECに転職、86年から5年間米国本社勤務、帰国後92年に同社取締役に就任。94年に米インフォミックス副社長兼日本法人社長。98年にノーザンテレコムジャパン(現ノーテルネットワーク)社長。2001年にドーセントジャパンを設立し、社長に就任。03年より米グーグル副社長兼日本法人社長に就任。09年より現職。著書に『村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける』、『村上式シンプル仕事術―厳しい時代を生き抜く14の原理原則』がある。
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