<各人各様の人間模様を見た>
この3年間近く地獄の淵を歩いてきた金子社長は様々な人間模様をみてきた。
まず銀行の対応である。掌を返す銀行もあった。最近、業績が回復してきたことを耳にして会社訪問するようになってきた。苦しい時も厳しい叱責をしながらもいざとなると支援を継続してくれた金融機関には感謝感激の意志表明の必要がある。金子社長は、このような銀行には一生をかけて恩返しをするつもりでいる。
仕入先の反応も面白かったという。噂が立っていても仕事を抱えれば誰も動じない。2009年3月期に大きな赤字を出した。手持ちの受注も減ってきた。そうなると支払い条件変更の要求をしたり、単価をあげてきたりする。
金子社長は、「いろいろな仕入れ先がある日建建設に対する評価の程度が分かっただけでも勉強になりました。ポイントは、どの業者さんからも『取引させてください』と頭をさげてくるような経営内容にすることなのです。今後、絶対に信用不安をひき起こさないように奮闘します」と話す。
受注先・同業者の反応も興味深かったという。「もう仕事は出せない」と通告してきたお客もいた。同業者が「日建建設は危ないですよ」と吹き込んでいた気配が感じられた。同社の経営状況を見て、支払いに配慮してくれた有難い施主もいた。ライバル関係にもかかわらず、同業者の先輩のなかには仕事を回してくれた方々もいたという。人間の裏表を透徹した眼で吟味できたことは大いに人生勉強になった。
一方、経営環境が悪化すれば身内関係がおかしくなる。会長の実父・実弟と一時的な軋轢(あつれき)関係になった。「こうなった原因は、自分の経営の不手際から招いたものだ」と冷静に分析できた。
また、社員たちとも正直に腹を割って話せるようになった。ある時、「どうしてお前は会社を辞めなかったのか?」と金子社長が社員に聞いたところ、「いやいや、社長。実は就職活動をしていたのですが、全部断れました」と、すべて告白してくれた。金子社長のほうも「そうだったのか、ごめんな。もうお前たちに不安を与えるような経営はしないから。誓うよ」と正直に応えられるようになったという。
<経営の原点を会得>
03年、34歳で金子幸生氏は3代目社長に就いた。現在、42歳である。まだ若い。34歳の若さで永遠に経営が順風満帆であるはずがない。今回の経営の逆境から生還できたのは100億円のキャシュを握ったほどの値打ちがある。筆者も応援したくなる人柄(前記の体験談からも分かるだろう)だからこそ危機の打開が図れた。
金子社長が、この3年間の苦しみから会得したことは「企業の命運はすべて経営者の采配で決まる」ということであろう。42歳という油にのる年齢に差しかかった金子社長が、この鉄則を忘れずに事業展開に専念していけば存在感あふれる企業づくりに成功するのではないだろうか。
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