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特別取材

(株)竹田商会 オート三輪一台からの出発(上)
特別取材
2010年7月27日 12:00

リサイクルを通じて環境社会に貢献

(株)竹田商会 代表取締役社長 竹田 奉正 氏

 昨年、福岡市博多区上牟田に本社を構えた(株)竹田商会。金属スクラップの収集、販売と鋼材の販売を行なう企業だ。1964年の創業以来、壁にぶつかりながらも一代で業容の拡大を重ねていった竹田奉正社長に社の歴史を聞いた。

(聞き手:弊社北九州支店長 石崎 浩一郎)

<先輩からの誘いがきっかけに>

(株)竹田商会 代表取締役社長 竹田 奉正 氏 ―社長は今から45年前にご自身の手で創業されました。当時のことをおうかがいします。

 竹田 中学時代の野球部の先輩に誘われたことが、仕事を始めるきっかけでした。その先輩はご実家が中古鋼材の販売をしていまして、運転手のアルバイトをしてくれないか、と。当時は鋼材の「こ」の字も知らなかったので、毎日が勉強でした。仕事にも慣れてきた頃、アルバイトの人手が必要なくなったということで、1964年に中古のオート三輪を購入して、自分で何でも屋を始めることにしました。

 ―オート三輪とは時代を感じます。そのオート三輪一台で資材を運んでいたのですね。

 竹田 独立当初は鉄工所の製品などの資材を運んでいたのですが、次第に仕事が減っていきました。一方で鋼材のスクラップの引き取り依頼が多数寄せられるようになり、製品を運ぶついでにスクラップを回収して鉄くず問屋に販売するようになりました。その流れでお客さまから鋼材の手配をしてくれという依頼を受けるようになり、鋼材問屋をまわって要望に応える製品を捜すことも始めたのです。こうして鋼材の販売、スクラップの回収と販売、という当社の原型ができ上がっていったのです。

 ―最初はアルバイトだったのですね。

 竹田 はい。魚屋でアルバイトしていたら魚屋になっていたと思いますし、他の仕事でもやっていたら、違う道を歩んでいたと思います。大工の見習いもやったことはあるのですが、高所恐怖症で一本の梁を足場にしての作業では、とても往生しました(笑)。たまたま先輩に誘われて始めたことではあるのですが、これが適職だったか否かというものは一生分からないのではないでしょうか。やってみた結果、よかったか後悔したかということだと思いますよ。

 ―鋼材とスクラップという2本柱を持つ企業というのは珍しいと思います。

 竹田 お客さまの要望に一つひとつ応えていくことで、今の2つの柱を持つビジネスモデルとなりました。普通は鋼材販売なら鋼材販売のみ、スクラップの回収・販売ならそれのみ、といったようにどちらか一方だけの企業が多いように思います。

 ―全国的にもまれな企業形態と思われるのですが。

 竹田 人の確保と育成が容易ではないから、両立は難しいのだと思います。弊社は鋼材を販売することから引き取ることまでワンストップでやっていますが、それには人材が不可欠です。確保、教育、ともにコストと時間がかかりますので、このようなビジネスモデルを採るところは少ないのでしょう。他社にできないことをやれているというところが弊社の強みとなっています。

<天神のビル建設ラッシュ 組織化が始まる>

 ―創業当時のご苦労は察するにあまりあります。それから数年経った頃、福岡でもビルの建設ラッシュがありましたね。

 竹田 今から40年ほど前でしょうか。山陽新幹線が開業したり、福岡市が政令指定都市に指定されたりして、福岡市には活気があふれていました。全国的な動きに呼応するかのように、天神地区でもビルの建設ラッシュが始まったのです。現場には水道管の残りなどがあり、それをいただきに行っておりました。12、3階から担いで降ろすのですが、とても重いので一人では運べません。そこで同級生に声をかけたり、知人を頼ったりして手伝ってもらうようになったのです。一人、また一人と人が増えてゆき、現在のような組織ができあがりました。

 ―すべてを一からつくっていったのですね。

 竹田 何もかも白紙からの出発でした。資本などあるわけもなく、明日の見えない時期もありました。けれども、たとえば建設現場で金属を集めていると「トラックがあるなら、この資材をあそこの現場まで運んでくれないか」などと声をかけていただくようになり、少しずつ仕事が増えていったのです。

 ―創業者というのは大変な苦労をなさってきているのですね。

 竹田 苦労と思ったことはありませんよ。これが仕事ですから。仕事量とともに組織が大きくなっていくというのは大変うれしいことです。

<他社に先駆けて 新型クラッシャー導入>

 ―建設現場などから出た金属廃材を集めて選別し、新たな息吹を与えていらっしゃいます。以前はリサイクルされた鉄は不純物が混ざり、硬度などに問題があったと聞きます。今でも鉄鉱石からつくる鋼材には劣るのでしょうか。

東浜スクラップヤード 竹田 今は格段に技術が向上し、原料が鉄鉱石だろうとリサイクル由来のものだろうとまったく違いがない製品ができあがるようになりました。廃材を工場に運び入れシュレッダーにかけると、ほぼ純粋な金属原料が回収できます。

 ―竹田商会は他社に先駆けて新型クラッシャーを導入されましたね。

 竹田 金属リサイクル業者としての使命を果たすためにはスピードや処理能力が問われます。より早く、正確にお客さまの求めるものを提供したいとの思いから、北九州支店にはドイツ製のメタルクラッシャープラントを導入しました。他にも大出力のギロチンなど大型の機械で加工処理能力を確保しております。

 ―北九州と東区東浜、太宰府に処理工場を持っていらっしゃいますね。それぞれ性格が違うのでしょうか。

 竹田 破砕、選別をして金属原料にすることは同じですが、北九州と東浜は大規模な処理を、太宰府はそれより小規模な処理を得意としております。出荷先も北九州支店は北九州市内がメインですが、東浜と箱崎のストックヤードは船で国内、韓国、中国、台湾にまで出荷します。

 ―1990年にオープンさせた宇美が最初の工場だったのですよね。それから93年に太宰府工場、97年に北九州支店、06年に東浜工場、同年に箱崎ストックヤードと展開し、今のかたちがつくられました。平成に入ってから事業が拡大していらっしゃいます。

 竹田 おかげさまで、一昨年には売上高で100億円を超すことができました。東アジア地区で鉄の特需があり、金属原料の売価が上がったことによる結果です。金属を扱う業界は国際価格で動いています。濡れ手に粟というような商売ではありませんので、ひとつずつ堅実にやっていくことが重要だと思います。

(つづく)

【文・構成 柳 茂嘉】

[COMPANY INFORMATION]
(株)竹田商会
代 表:竹田 奉正
所在地:福岡市博多区上牟田1-17-21
創 業:1964年8月
設 立:1980年1月
年 商:85億円(今期予想)
従業員数:約80名


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