4.強行に出れば柳の如く応対
野田氏が5億円の借り入れの見返りとして商品のデリバリー業務をT社(東京アート)に託した。またT社は金を貸したことを盾にしてPe社(ペー・ジェー・セー・デー)に強気の応対をしてきた。野田氏としては「これはまずい」と判断して2006年3月14日にT社に5億円を返済した。そこで「取引解除」を通告したのだ。三木氏は「返すのは無理」と判断をしていたので狼狽した。
ぼろい商売ができなくなればT社も大変だ。一転して柳のようなしなやかな低姿勢に方向転換を始めた。支払い条件の変更について逆提案もしてきた。従来は「月末締めの翌末の現金払い」であった。それを月末締めで4カ月後の末払いを提示してきたのだ。払う側は気分面では非常に楽になる。「それなら取引を継続しよう」となるのは自然の成り行きだ。まあ、結果的にはここで「すぱっ」と縁を切れば良かったのである。
三木氏が、この先に対して不安だったのか、元々根がしぶといのかはよくわからない。どちらも当たっているだろう。交渉の結果、野田氏は三木氏から再度、4月18日にその2億5,000万円を借りることにした。貸付先はPe社で貸主はT社である。しかしながら、「狙い定めた獲物を絶対に逃がさないぞ」という三木氏の執念はたいしたものだ。
5.攻勢の手を緩めない
Pe社攻略の手を緩めない三木氏はスッポンだ。Pe社が、Ko社(コスモ・コミュニケーションズ)と取引を始めたのは04年である。それから07年までの3年間の取引高は広告一任先として25億円になった。06年6月、T社は、Pe社に対するKo社の売掛債権2億円を買い取った。表現を代えればT社がPe社に対して2億円の変則的貸し付けを行なったということである。
この辺りになってくると野田氏のPe社と三木氏のT社は非和解的な対立関係になってしまった。2億5,000万円プラス2億円の4億5,000万円の貸付金を背景にしてT社側の恩着せがましい姿勢が再度、復活し始めた。野田氏はさすがに「ヤバいな」と判断して06年7月に岡野副社長を退任させた。T社・Ko社への肩入れの度が過ぎたことが辞めてもらった理由である。07年3月30日、Pe社は、06年4月18日に借りた2億5,000万円をT社に返済した。
07年は、嵐の前の小康状態が続いた。野田氏としてはT社の経営干渉をスットプするためにあらゆる対策を講じてきた。08年に入ると、あるファンドに営業権を買い取ってもらう交渉をして資金調達の目途をつけた。Pe社はT社に「ファンドから調達する5億円の資金で借入金を払う」旨を通告した。ファンド会社も「T社を通すとコストが高くなる」という助言をしたという。
ここからまたまたT社の三木氏の粘り腰が発揮される。三木氏はファンド会社と直接交渉をするような動きもする。08年6月にはファンド会社との交渉も暗礁に乗り上げた形になった。だがPe社側にとって交渉の果実は得た。T社側が09年になって20%の切り下げを承諾してくれた。三木氏はまだここでは「勝負時期でない。隠忍自重すべし」と心していたのだ。
東京アート(株)
代 表:代表取締役会長 三木 正市
所在地:東京都中央区新川1丁目23番5号
業 種:紙器印刷他
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