長崎県建設業協会 会長 谷村 隆三 氏
離島の多い長崎県。大小合わせて約600の島があり、うち約70が有人の島となっている。県の面積に占める島の割合は38%、人口の一割が島に住んでいるという地方のなかの地方と呼ばれる地域が多くあるのが県の特徴だ。長崎市をはじめとする都市部と離島などの農漁村部では公共事業の意味する内容が異なっているという。費用対効果の測定は是か非か。長崎県建設業協会の谷村隆三会長に聞いた。
――つまり公共事業は縮小すべきではないとお考えなのですか。
谷村 無駄なものに投資をする必要はないと思います。ただ、この10年で公共事業自体が半減してしまいました。すでに地域の生活道路の維持管理が充分にできなくなり、必要なインフラをつくることすらできなくなっています。そもそも公共事業という名の工事はないのです。
――それはどういうことですか。
谷村 公共工事というのはそれぞれが目的を持って発注されているのです。そして目的が名前になっています。上水道工事であったり、何々道路舗装工事であったり。これらはそれぞれに市民生活を向上させ、産業を発展させるためになされているのです。つまり市民の夢の実現が公共工事だと私は思います。これが縮減されるということは夢がなくなることと同じです。それぞれの目的、夢について今必要かどうかを論じることが大切なのであって、公共工事がすべて悪い、という語り口は違うのではないかと思います。
――最終的には国体や国柄、どういう国にしたいかが公共事業の是非につながるのですね。
谷村 公共工事、建設工事が果たしている雇用の受け皿としての役割も、もっと論じられていいと思います。体を使う仕事と頭脳を使う仕事というのは違いがあります。どちらがよい、悪いというのではなく、その人に適した仕事ができるということが重要だと思います。体を使う仕事の場を与えることができるのは製造業と建設業が主です。これらの仕事が縮減されるというのは、体を使って働きたい人の労働の場が減っていくということを意味しています。誰でもホワイトカラーになればよい、というのは職業選択の自由という視点から言って乱暴なことと思います。
――生活の糧としても労働があります。働くことでお金をもらうことは大切だと思います。国はお金をばら撒くことに腐心するよりも働く場をつくることを考えるほうが世の中として真っ当だと思えます。
谷村 労働の対価としてお金をもらうのが正常な社会です。そのなかでもっと稼ぐ方法はないかということを考えるのが前向きな姿勢だと思います。頭脳労働に向かない人がパソコンに向かって仕事をするというのは苦痛です。適した仕事で一所懸命に汗を流しお金を得ることができる社会になってほしいと思います。今は建設業にとって厳しい時代ですが、建設とは何か、公共事業とはどういう意味があるのかを今一度みんなで考えてほしいです。
――本日はご多忙のなか、誠にありがとうございました。
【文責・柳 茂嘉】
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