11.三木氏の予想を超えた抵抗劇
普通であれば、東京アートの三木氏が精通した商法を駆使してPe社乗っ取り戦略は成功していたはずだ。ジ・エンドになっていたはずなのにそうならない。三木氏の長年の経験から「もうそろそろPe社側は白旗を掲げる=降参する」と見ていたのだが、想定したよりも事態の雲行きがおかしい。ここで予想もしなかったPe社=野田氏の陣営の反撃が開始されたのである。
ここで三木氏は情報収集に怠っていたのではないか!!「福岡の田舎者」と舐めてかかっていたのかもしれない。戦う前に野田氏の人物調査を若干でも行っていたら構え方が違っていたであろう。「野田という男は強(したた)かでタフだな」と腹を括ったはずだ。裸一貫、内装業=店舗企画業界に殴り込みをかけて一世を風靡させた実績を残している事業家である。
野田氏が経営していた野田企画は昭和54年に大口の不良債権のパンチを浴びた。地獄の淵から必死で生還した。平成の初期のバブル時代を上手に乗り切った。そこで得た資金でヴァーナル・大田オーナーを救済した。ヴァーナルの再起にメドをつけて自前で通販ビジネスを経営する目的で『ペー・ジェー・セー・デー』を設立したのである。
経営者として地獄から生還したという、自分の体験に基づいた裏技にも長けている。友人の経営する企業の再生に尽力した。その手法は、まともに平々凡々と経営してきた者には着眼できない荒業も駆使してきた。潰れる寸前の会社を助けるには荒療治しかない。東京アート・三木氏がこの野田氏の経歴を多少なりとも入手していたら違った作戦を練り上げたはずだ。
2010年2月9日にPe社の第二会社として(株)ぺー・ジェー・セー・デー・ロジ(Pe-L社と呼ぶ)が設立された。破産の申立てを予期して防衛策を打ったのだ。三木氏もこの荒業を事前にキャッチできていなかったのではないか。2月9日以降、現在までPe-L社は営業を続行している。社員達には会社の現状を明確に説明し方針も徹底した。だから従業員の動揺もなく現在まで業務は継続されている。
東京アート・三木氏側は2月17日、Pe 社に対する破産申立を行なった。Pe社側も様々な対応策を練り対抗した。破産申立の審議推移を眺めつつ5月18日にPe社の民事再生法の申立も行なった。3日後の5月21日にはPe社の破産手続き開始の決定がなされた。
目下、法廷で破産の実務的な手続きは行なわれている。だが、Pe社に代わるPe-L社はスムーズに営業を続行している。売上げの落ち込みはあるが、ネットからの注文は継続されているそうだ。まさしく三木氏にとって第二会社での営業運営可能という事態は想定外であった。
*記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら