3.末吉流・人心掌握術
末吉興一前北九州市市長(75)は、市長就任後、真っ先に市政へ経営者感覚、営業感覚を取り入れた。今でこそ「都市経営」を主張する自治体は多いが、20年前は職員にとって青天の霹靂だった。
まずは人件費。民間だと事業のコストのなかに人件費は当然のように含まれているが、当時の行政は人件費を固定経費と捉えていた。市長就任当時の職員数は1万2,000人ほど。
「職員が1割多く働けば1,000人分の仕事が出来る。そのためには、まず職員の意識から変えなければならない」(末吉氏)。市長退任時、北九州市は職員数9,500人というスリムな構造になった。
命令するだけでは人は動かない。プロジェクトに対して職員が共感や同感を持てるように方針を徹底して伝えた。プロジェクト毎に先を見据えた人員配置をする。そして事務系と技術系の職員の壁を取り払った。技術系職員から区長や総務部長らを登用した。
また、外部から英語やITなどのエキスパートを積極的に採用。民間からも人材を多く採用した。さらにスタッフの視野を広げるために中央省庁やシンクタンク、広告代理店などにも出向させた。霞ヶ関や財界の論理をこうして地方行政にも反映させる。国内だけでなく海外にも派遣したが、「ぜひ行かせてください」という積極的な職員から選抜した。
そして、信賞必罰の勤務評定も実行した。新たな仕事に挑戦した職員には「挑戦加点制度」で評定する。上司が部下を評定するだけではなく、最終的には下や左右からの評定も可能となった。
「私も九州の男だから部下を叱ることがある。でも言い方がキツいからあとでフォローすることになる。だったら、あまり厳しく言わなきゃいいんだけどナア...」(末吉氏)。何か問題があると局長以下、スタッフは大勢で市長の下に集まったという。逆にほめられたい時は単独で来た。
末吉流の部下操縦術がある。建設省時代、局長、課長、係長にそれぞれ同期のトップクラスを置いた事がある。だが皆、優秀なために自説を譲らず、仕事は円滑に進まなかった。
市長時代は、「ベストな人材配置とは、トップに『責任は俺が持つ』という大局的視野の人を選び、2番目はわき目も振らずに仕事に打ち込む人、3番目には2番目の人の指示を忠実に守る人を充てる。このパターンが一番うまく行く」という裏技を繰り出した。
「仕事はよくしたよ。勉強もしたしね。市長の後半はネットワークが広がり、いい情報も悪い情報もどんどん入ってきた。広げた人脈の2乗で情報は届きますね」(末吉氏)。
現在も財団法人国際東アジア研究センターの理事長として多忙な日々を送っている。
<プロフィール>
末吉 興一 (すえよし こういち)
1987年から2007年までの5期20年間、北九州市長を務める。34年(昭和9)9月20日、兵庫県生まれ、75歳。58年、東京大学法学部卒業後、建設省に入省。60年、大分県松原・下筌ダム工事で用地課長。宮崎県企業局、自治省に出向、大臣官房地域政策課課長を経て85年、建設省国土庁土地局長から市長に立候補。市長退任後、外務省参与、内閣官房参与(地域再生担当)を務めた。現在は、(財)国際東アジア研究センター理事長(北九州市小倉北区)。著書に「自治体経営を強くする『鳥の目』と『蟻の足』」(出版社:財界研究所)がある。
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