<運動自体の見直し(改善)はされず>
「『DNA運動』は、なぜ廃止されたのか」。市の行政管理課によると、これから導入しようという自治体から、必ずと言っていいほど質問されるという。
「発祥の地・福岡市」へ研修に訪れる自治体も多い。同課では「DNA運動」に関するプレゼンテーションの用意もしている。それなのに、なぜ廃止されたのか。取材のなかで「単純に前市政(山崎前市長)の否定ではないか」という声を聞いた。
2000年に開始された「DNA運動」は、現場職員のモチベーション向上に大きく貢献した。従来のトップダウン方式ではない現場主義。現場からの声を活かすことで市民目線により近くなる。さまざまなアイディアが職員ひとりひとりから生まれた。「DNA運動」における職員の姿勢は、勤務評定にも反映されていたという。
しかし年が進むにつれ、「DNA運動」の仕組みに問題が生じてきた。当初、運動の参加には、各課の自主性が重視されていたが、それもいつの頃か全課の"義務"のようになった。運動への取り組み方に温度差が生まれた。「発表大会の準備のために残業が増えた」といった不満も蓄積した。発表のための取り組み、各課単位のトップダウン方式で行なわれる業務になってしまった。
そして、吉田市長へ代わった際、「廃止」が市幹部から進言された。ただし、現場の意見としては、「見直し」はあったが「廃止」まではなかったと、市幹部OBは言う。
「(DNA運動の)廃止は、現場からの意見具申を嫌い、上意下達のトップダウン方式を好む局長たちが進言したもの。現市長(吉田氏)は、市職員の現場をまったく知らない。知らないから局長たちの言うことをうのみにする。ムダな取り組みのように思ったのだろう」(同OB)。
どんな物事でも、継続するうちに不都合・不具合が生じてくるのが理。その度に修正・改善していかねばならない。「DNA運動」における各課の取り組みには、PDCAサイクル(計画plan、実施do、評価check、再検討action)の考え方が採られていた。悲しいことに、「DNA運動」そのものは、PDCAのAがabolish(廃止する)であったのだ。市役所の古い体質(DNA)に取り込まれてしまったと言ってもよいだろう。
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