―副市長という役職に就いてくれ、と頼まれたときは、どのように感じましたか。
仙波 私は、私の立場については、アドバイザーでも顧問でも構わないと思っていました。しかし、アドバイザーとして入ってしまえば、市長に意見を言うことはできますが、職員の方々には何ら意見を言うことができません。また、私は60歳を過ぎていますから、一般の職員としては入れません。そういうこともあって、竹原市長は副市長というポジションを用意してくれたわけです。
ただ、いきなり副市長という役職に就いてしまうと、誤解を受けてしまうのではないか、と思いました。やはり、立場も給料も高いですから。そこで、いろいろな方に相談しました。私なりにも、何か他の入り方はないものかと考えました。それでも、最終的には「これしかない」という結論に行き着いたのです。
―竹原市長の「専決」については、どのようにお考えですか。
仙波 実は、私には全国に85人の弁護団がいるんです。彼らにも相談して、いろいろなアドバイスも受けて。それでも、結局は司法(裁判所)の判断を仰ぐしかない。「適切か不適切か」という問題については、誰にでも論じることはできますが、「適法か違法か」という問題については、裁判所にしか論じることはできません。ですから、私は無給で副市長という役職を引き受けたわけです。
―無給というのは、最初の約束で決められていたのですか。
仙波 そうです。最初は「専決でゼロ(無給)にしてください」と頼んだんですが、それでは今の規定を考えると寄付という違法行為になる、と彼(竹原市長)が言ったので、ひとまず給料の金額を下げることで話をつけてもらいました。それから、残った金額を供託することにしました。供託金というものは、取りに行かなければ国のものになります。もし、私が仕事をしたことに対して、市民の皆さんが「これなら仙波にも4割カットの給料を払ってもいい」と言ってくれたときには、供託しているお金については考えますが、何の仕事もしていない、何の結果も出していない状態では、私は給料なんて受け取ることはできません。
―竹原市長も自らの給料を4割カットしていますが、これについてはどう思っていますか。
仙波 私は、彼(竹原市長)が自らの肉を切り血を流すような人でなければ、ここには来ていなかったと思います。彼の手段は少し強硬すぎる部分もありますが、私は彼が素晴らしいことをしていると考えています。どれだけ、自分が公益のために頑張れるか。大切なことは、公益というものに対して、自分なりのポリシーを持てるかどうか、です。
【文・構成 原薗裕樹】
<プロフィール>
仙波 敏郎(せんば としろう)
1949(昭和24)年2月14日愛媛生まれ。愛媛県立松山東高等学校卒。67年、愛媛県警察官採用試験に満点で合格し、採用後最初の試験でもトップの成績を収める。73年には同期で最も早く巡査部長昇任試験に合格するも、裏金作りに必要として上司から依頼された偽領収書の作成を拒否。以後、定年まで巡査部長の階級に留まることになる。05年、現職の警官としては初めて裏金問題を告発。定年退職後は、裏金問題についての講演活動を行なう。10年7月、阿久根市長・竹原氏の専決によって同市の副市長に選任され、8月2日に就任した。著書に「現職警官『裏金』内部告発」(講談社)がある。
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