―副市長として就任した当初は、阿久根の市政に対してどのような印象を持たれていましたか。
仙波 私が就任して3日が経った頃には、この阿久根市役所で働く職員の駄目なところがはっきりと見えていました。もちろん、竹原市長の"やり方"が厳しいために、市長と職員との間に乖離(かいり)があるということは否めません。市長と職員との間に、明らかな気持ちの上での差があるわけです。しかし、私には竹原市長の方針も職員の気持ちも理解できました。その上で、職員の方々に対して、かなり厳しいことも言いました。
―その「問題点」について、既に何かしらの対応をとったということですか。
仙波 はい。5日には緊急課長会議を開きました。室内で勤務しているわけでもないのにスリッパを履いていること、市長や副市長に対して挨拶もしないこと、8時半からと決められている朝礼をダラダラと始めていること...。これらのことについては、早急に手を打つように言いました。その代わり、例えば有給休暇をとりにくい風潮があるという点については、しっかり仕事をしているのであれば、当然(休暇を)とるべきだと指示しています。
―その後、職員たちの様子に変化は見られましたか。
仙波 今では、私が指示したことは全て守られています。実は、市民の方々からも、「仙波さんが来てから(市役所が)ガラッと変わった」、「市長が良くなった」という声をいただいているんです。ただ、私は竹原市長が変わったとは思っていません。彼は、簡単に人の意見に左右されるような、そんな柔(やわ)な男ではありません。よく誤解されるのですが、「仙波さんは、彼が振り上げた手を下ろすために阿久根に来たんだろう」と言う方がいます。彼は、最初から何も振り上げてなどいません。当たり前のことをやっているだけなんですから。彼に会って話をしてみれば、誰にでもわかることだと思います。
―竹原市長に会ったこともないような人が、彼の批判をしているわけですね。
仙波 事前抑制というものは、誰にでもできるんですよ。行く前から、会う前から、ああだこうだと意見を言うだけのことならね。ですから、私がやっているのは事後抑制です。実際に彼(竹原市長)に会って、彼のやりたいことを理解した上で、彼と議論を重ねる。そうやって出てきた結果をもとに、市民の皆さんには私が副市長として就任した意義を判断してほしいと思っています。
―竹原市長との接点を持つことが必要だ、ということですか。
仙波 そうですね。ですから、懲戒処分の職員も復職させて、議会も開いて、労働組合との接点も設けているんです。ただ、勘違いしないでほしいことがあります。それは、お互いに議論をするのは、あくまで公益のためだということ。自分たちの権利だけ、幸せだけを求めるような議論は、もはや無に等しいのですから。
【文・構成 原薗裕樹】
<プロフィール>
仙波 敏郎(せんば としろう)
1949(昭和24)年2月14日愛媛生まれ。愛媛県立松山東高等学校卒。67年、愛媛県警察官採用試験に満点で合格し、採用後最初の試験でもトップの成績を収める。73年には同期で最も早く巡査部長昇任試験に合格するも、裏金作りに必要として上司から依頼された偽領収書の作成を拒否。以後、定年まで巡査部長の階級に留まることになる。05年、現職の警官としては初めて裏金問題を告発。定年退職後は、裏金問題についての講演活動を行なう。10年7月、阿久根市長・竹原氏の専決によって同市の副市長に選任され、8月2日に就任した。著書に「現職警官『裏金』内部告発」(講談社)がある。
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