福岡相互銀行、福岡シティ銀行そして西日本シティ銀行と変遷した福岡相互銀行は昔、四島一二三氏によって設立されたものである。言わば創業者オーナとして誰しもが認知していた(社会的公認)。二代目・四島司氏がさらに業績を進展させた。福岡銀行・西日本銀行の二大列強の狭間をうまく立ち回ってきたが、四島司氏の後継者の思惑=娘婿にバトンタッチするのには失敗した。オーナー経営の銀行ですら身内への事業継承は至難なのである。
ところが長野氏はオーナーでもないくせに肥後銀行は私物化させた。娘婿の甲斐氏を頭取に据えた。よくもまー周辺の関係者たちは認めたものである。意地の無さには呆れ果てる。この事実だけでも長野常任顧問の性根がよーく理解されるであろう。
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