<DNAは残っている>
2007年3月をもって終了となった「DNA運動」。しかし、その精神は現在の市職員のなかに少なからず残っている。同年以降、新たに「職員提案制度」が始まった。これは、事務改善に対し、職員が提案する制度だ。
その実現例としては、税証明の休日交付、知的財産に関する「特許の申請」、夏休み子ども見学会の実施など。また、それらの改善事例を共有する取り組みとして、庁内報「ふく・よか」通信の発行を始めた。さらに10年度からは庁内LAN掲示板に、隔週で改善・改革(民間企業の実例紹介)に関するコラムを掲載している。
しかしながら、各課で行なう「DNA運動」に比べ、モチベーションの高い職員のみが行なう傾向が強いという。強制的に行なわせるのも問題があるが、まったくの自主性に任せてしまうのも弊害が生じる。本来は、そのバランスを再検討すべきであって、「DNA運動」の仕組みそのものを廃止してしまうのは行き過ぎではないかと思うのだ。
そして、「DNA運動」は、これから地方分権が進むなかで、ほかの地方自治体に対し、「発祥の地・福岡」としてのイニシアチブを取る要因になったかもしれない。
「DNA運動」は終了したが、その"DNA"は残っている。
これは「DNA運動」のプレゼンテーションで出てくる言葉だ。それが筆者には、市職員のパブリック・サーバント(公僕)としての矜持のように思えて仕方がない。以前、取材のなかで、福岡市に出向していた経験のある霞ヶ関官僚が語った。「福岡市の職員は、全国的に見てもとても優秀です。しかし残念なことに、今は眠っている」と。
11月には福岡市長選挙が行なわれる。我々市民は、ビジョンや公約だけではなく、約1万人の職員を統率する上で必要なリーダーシップというものも十分に考慮しなければならないのではなかろうか。
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