<一転してダーティー役に転落>
金丸氏がこの不動産証券化による金融調達を確実に活用して本業に専念した堅実経営に徹していたらどうなるか。まったく別次元の結果になっていただろう。関係者から尊敬の念を持たれたであろう。だが人は生まれつき背負った『業』がある。ハッピーにビジネス人生を終えられない理由があるものだ。前世から背負った宿運だ。金丸氏は「ほどほど、腹6分」というような言葉で表わされる中庸の精神がない。我欲が先行する性癖があった。
「ブレーキをかける=自制する」という資質に欠けているのであろう。金丸氏は、銀行に頭を下げることから解放されたことで頭に乗った。次から次に不度産を買い漁った(厳密に言うと不動産証券化して掌握した)。オフィスビルから賃貸ビル、そして温泉リゾートホテルまで物色した。湯布院に次いで熊本菊南の結婚式場付きホテルを買収した。この投資額が大きすぎて命取りになった。
一方では、マンション分譲にも仕込み続けていった。これでは資金がいくらでも必要になってくる。金丸銀行といわれた資金力にぶら下がっていたマンション業者も警戒をして離反を始めた。事業一筋の拡大路線ならばまだ多少なりとも理解できるのだったが、金丸氏は株投資にものめり込むようになっていった。同氏はもともと博才には長けていたようだ。ホリエもんのライブドアの株で一時は大もうけをして味をしめた。その後の顛末は、株価の急落で資金が詰まってしまった。個人の株取引の金策に会社の資金を流用するのは成り行きであったのだ。ワンマンの金丸氏に忠言を発する幹部は誰もいなかった。
<個人からの資金掻き集めに活路を見出すが頓挫>
ついには個人お客から詐欺まがい(返済不可能を認識しつつ)の資金集めの暴走したのである。その後の逮捕に至る経緯は別のレポートに譲ろう。しかしながら、個人からの資金調達画策には金丸氏本人も犯罪意識を抱いていたと断言しておく。「丸美の社長でいるとまずい」と判断したのか、自分は会長に就いて社長の座を宮崎氏に譲った。デベロッパー事業という表向きの顔を宮崎氏に託して金丸氏本人は裏で個人からの資金集めに奔走したのである。
逮捕された元社長の宮崎氏は逮捕前に次のような後悔の念を述べてくれた。
「裏の資金造りにはまったく関与させられなかった。表の顔として私は巧妙に利用されていた。うかつにも『社長になってくれ』の甘い囁きにのせられた。馬鹿なことを引き受けてしまった。今になっては後悔しても始まらないが――」。
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