<金丸氏の持つ二面性>
児玉 金丸という男はヒーローとダーティ、両極端の性質を持った人物だった。たとえて言うならば、企業倒産のドラマを描いたときに小説の中心人物になるような個性の持ち主だ。私も昔、金丸氏を「福岡のリクルート・江副氏」になぞらえたことがあった。
76年に丸美を始める前は、西南学院大学時代に清掃のアルバイトをしており、そのときの経験から最初は清掃・美装業を始めた。84年に株式会社となった頃、マンション管理業務業にも着手し、マンション業者から物件を購入して、代わりに管理案件を受託するビル管理事業を手掛けるようになった。
たしかに、当時から「金丸氏は賭けごと好き」と言われていたが、ビル清掃・管理というのは小さな売上をコツコツ積み上げていく事業。そのときは、当然ながらそんなに派手なことはできなかっただろう。そういう意味ではカネにも厳しかったと思う。こうした姿勢を、福岡都市圏で新規開拓先を探していた佐賀銀行の福岡本部に見初められた。
優れたベンチャー企業として佐賀銀行に気に入られ、倒産時まで入居していた大名の丸美本社ビルを97年、バブル崩壊で不動産価値が落ち込んでいるときに銀行の後押しもあって買い取った。そういう面では、地場経済界ではある種のヒーロー的存在だった。
ほかにも、私が「金丸氏はすごい人物だな」と感じたエピソードがある。当時、田原学氏が代表を務めていた福岡で有力なデベロッパーのソロンから、完成したマンションの管理業務をもらっていた頃の話だ。
90年、田原氏が手掛けたザ・クイーンズヒルゴルフ場が糸島にできたとき、丸美は仕事と引き換えに高額な会員権を買っていた。10年後にその更新手続きが来たとき、金丸氏は「田原さんは当社に1,000戸の仕事を任せると言ってくれていたが、実際には400戸くらい残っている。この約束を果たしてくれない限り、10年間の会員権延長はしない」とはっきり言っていた。田原氏に直接その話をして、条件をのませたと記憶している。その頃までは経営者として大した人物だと感じていた。
その後、02年から03年にかけて、あれだけ面倒を見ていた佐賀銀行が手のひらを返すように融資姿勢を厳しくし、ついにはストップした。ここで丸美は急激に経営が悪化していった。
【文・構成:大根田 康介】
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[COMPANY INFORMATION]
代 表:金丸 近、宮﨑 隆
所在地:福岡市中央区大名2-4-5
設 立:1984年9月
資本金:10億6,134万5,000円
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