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大倉マン奮闘記・西ドイツ編(2)~「ヒトラーの遺産」
経済小説
2010年9月14日 08:00

 大倉商事で働き始めた御厨に「世界を相手に商売をしていること」を初めて実感させたのは、テレックス・ルームだった。当時は1980年代、当然ながらインターネットなんてものはない。海外支店および取引先との通信手段は、国際電話を除けば基本的にテレックス(※)によるものだった。
 各部門で原稿を作成し、テレックス・ルームに持ちこむ。それを数十名のオペレーターがタイピングして世界各地に送信するのだ。同ルームの壁には、世界主要都市の時刻を示すたくさんの時計が掛けられていた。時差があるため、オペレーターたちは毎日深夜まで稼働していたという。

<激走する商社マン・時速200kmの壁>

 また、御厨だけでなく、大倉商事西ドイツ支店へ赴任した商社マンが避けては通れない道があった。それが、ドイツの高速道路「アウトバーン」だ。
 かつて「アウトバーン」は第二次世界大戦中に、連合国軍の空襲を避けるためにトンネルや近くの森のなかに航空機を隠し、滑走路代わりとして利用していたこともあるという。「アドルフ・ヒトラーの最大の功績」とも言われる産物だ。

アウトバーン もっとも現在は、ドイツと周辺諸国を結ぶビジネス上の重要なインフラとなっている。そして、御厨がいた西ドイツ支店は、取引先が、ベルギー、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリアなど広範囲であったため、「アウトバーン」で自動車を運転することは必須。まず、その走行に慣れなければならなかった。
 日本の高速道路と違い、「アウトバーン」は一部を除き速度無制限である。御厨の先輩社員たちはさすがに慣れたもので、平気で時速220kmを超えて運転していた。しかし、初心者にはなかなか難しい。そこで先輩社員が助手席に同乗し、「走行訓練」が行なわれるのだ。御厨はかなり苦労したという。

 「どうしても怖くて、時速200kmの針を振り切ることができませんでした。すると、先輩がしびれを切らして、横から足を伸ばしてアクセルペダルを踏むのです。正直『なんてひどい先輩だ』と心底恨みましたよ(笑)」(御厨氏)。

 そうしているうちに、何とか「時速200kmの壁」を破ることができるようになった。
「さすがはベンツです。時速230kmになっても全然フラフラしない。重心がグッと低くなり、道路にはりつくような感じがしました」と、御厨は高速走行の様子を回想する。

(つづく)

【文・構成:山下 康太】

<プロフィール>
御厨 幸弘 (みくりや ゆきひろ)御厨 幸弘 (みくりや ゆきひろ)
1952年9月4日佐賀県生まれ。71年、佐賀県立北高校卒。77年、東京経済大学経営学部を卒業し、大倉商事(株)へ入社。数々の海外駐在勤務を経験する。93年、同社を退社し、(株)岩田屋の子会社にあたるiDSトレーディング(株)へ入社。95年、同社を退社し、96年、(株)ミックコーポレーションを設立。現在に至る。


大倉マン豆知識(2)「テレックス」

 送受信者双方が通信回線に接続したタイプライター型電信機を使用して行なう、文字情報による通信。かつては国際ビジネスを中心によく利用されていたが、FAXやE-mailなどの普及により廃れていった。


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