<吉報が舞い込む>
会社を起こしてから、着実に業績を上げてきたことは前述した通りである。荒津氏は、今年で73歳である。「本当は70歳で引退する予定だった」ことが、後継ぎ育成に失敗して「運にも見放された」と失意に暮れていた。「経営を打ち切ることもできなかった。多数の管理物件を抱えている現状を考えると、すぐに事業をストップすることも難しい話であった」と本音を披露する。
この2年ほど受注面で恵まれていた。官公庁受注も途切れなかった。ちょうどその矢先に吉報が舞い込んできた。もともと城南区友泉亭に本社を置いていた荒津工務店に、福岡市から「本社を売却してくれ!」と声がかかる。本社の横は福岡市営の友泉亭公園である。黒田藩の別邸であった場所だ。最近、訪問者が多い。加えること、「福岡市を観光都市にする」という吉田市長の方針もあった。
その方針に基づいて、友泉亭公園の設備充実化が動き出した。まず大型バス専用の駐車場がない。そこで荒津工務店に打診が来たのだ。「観光バスなどの駐車場を確保するために、土地と建物を買い取らせてくれないか」というものであった。荒津氏の最後の最後のビジネス人生の加算を迫られている時期に運力が復活した。まさに、"渡りに船"といったところであろう。
<お世話になった人たちにお返しをするのは当然の義務だ>
事業をたたむ際には、関係者への補償が不可欠だ。従業員はもとより、契約関係にある企業へのフォローも忘れてはならない。そういった事情もあり、荒津氏は福岡市からの提案を快諾した。友泉亭に置いていた本社は、70坪前後の広さを持っており、観光バスを6台ほど停めることのできるスペースに生まれ変わるという。福岡市は、建物の解体費用も含め、高額の契約内容を提示していた。こうして手にした資金を用いて、荒津氏は関係者各位に補償を行なうことができるようになった。
荒津氏は語る。「経営ができなくなってしまうことは仕方のないことだ。あるところで事業を売れるのであれば、それはそれとして割り切るべきである」。地場に密着した建築業者として、堅実に福岡への貢献を重ねてきた荒津氏。しかし、荒津工務店だけでは成し得なかった事業も多く存在する。「建築業界というところは、自分ひとりでは何もできない。荒津工務店も、単独でやってきたわけではなかった。いろいろな人を巻き込んで、事業が成立している。そうやって関わってきた人たちの生活を、こちらの都合でダメにするわけにはいかない。お世話になった方々に恩返しをするのは当然の行為だ」(荒津氏)。
そう話す荒津氏は、気分すっきり、爽やかな顔になっている。事務所解体前に取引業者の方々を集めて慰労会を行なった。朝方まで飲み会が続いたそうな。
<清算人という重責>
荒津工務店は、9月で仮決算をして、10月末で本決算を行なう。その後は清算期間となり、廃業の処理が進められる予定だという。33年間「社長」と呼ばれてきた荒津氏は10月1日から「会社清算人」のポストに就く。10月からは給料・役員報酬はゼロになる。本人曰く「年金生活者になるから付き合いも慎まなくてはならない」と。「やってみないと分からことばかりだ。企業廃業=清算作業は本当にしんどいね」と語る。
「何がしんどいか」というと、黒字廃業・清算となれば課税評価を厳密にしなければならないのである。冷めた表現をすれば税務署側は倒産した企業には全く関心を示さない。税金を取り立てることができないからだ。黒字廃業・清算になれば課税が期待される。たとえば清算最終時点で2億円の価値と見なされば株主たちからかなりの税金の調達が可能になるからだ。税務当局が必死になるのは頷けられるであろう。
荒津工務店は資本金2,000万円だ。最終企業価値(大半は現金に置き換えられる)が3億円になるとする。そうなると株主は2.8憶円の収入を得る計算になる。ここに課税されるチャンス(税務当局の立場の意味)が生まれる。だからこそ清算作業が厳密に厳しくなされるのである。税務当局の目はごまかされない。物は考えようで会社清算して課税されるということは名経営をしていたという証拠である。荒津氏にとって勲章だ。
どうであれ福岡の建築業の一端を担ってきた荒津工務店が残したものは、今も市民の生活のなかに息づいている。
COMPANY INFOMATION
株式会社 荒津工務店
設 立:1977年
資本金:2,000万円
住 所:福岡市城南区松山2-5-13 松山ビル1F
TEL:092-866-1281
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