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大倉マン奮闘記・西ドイツ編(3)~生きた言語を学ぶ
経済小説
2010年9月17日 08:00

 学生時代、諸外国を放浪した経験を持つ御厨は、語学力には自信があった。入社後、大倉商事本社の重工業機械部中南米課に配属されたように、英語はもちろんのことスペイン語にも精通していたのである。
しかしながら、ドイツ語だけは習得していなかった。そのこともあって、御厨は西ドイツ支店への転勤を意外なこととして受け止めていた。
 ともかく、「アウトバーン」の走行練習と同じく、御厨は真っ先にドイツ語の習得に取り組まなければならなかった。

御厨氏と西ドイツ支店事務所 大倉商事には、現場の仕事を始める前に西ドイツ国内の主要都市にあるゲーテ・インスティトゥートで数カ月間、ドイツ語を勉強するプログラムがあった。御厨曰く、「仕事をせずに勉強ができて、給料までもらえる嬉しい制度」である。
 御厨は社命で、ハンブルク近くのハンザ都市にあったリューネブルグという小さな町へ行った。宿泊するのは一般のドイツ人家庭、いわゆるホームステイである。
 学校の授業は厳しく、基本的にドイツ語の使用しか認められない。英語による質問も受けてもらえなかった。全く知識がない御厨は当初苦しんだ。しかし、彼には秘策があった。

 それは、生きたドイツ語に触れること――。

 御厨は、学校が終わり夕食を済ませると毎晩街へ繰り出し、バーやディスコに通って、地元の人たちと交流した。その日の授業で習ったドイツ語を、自信がなくとも使った。遊びも兼ねて一石二鳥だ。
 その代わり、毎日出される宿題は手つかず。教師から「こんな不真面目な日本人生徒は初めて」とのレッテルを貼られることとなった。しかし、頻繁に行なわれる試験では常に上位の成績だった。海外放浪時代の経験が活かされた、御厨流の言語習得術と言ってもよいだろう。

 御厨がドイツ語学校で学んだなかで、座右の銘となったゲーテの言葉がある。
 「財産を失ったのはいくらかを失ったことだ。名誉を失ったのは多くを失ったことだ。勇気を失ったことはすべてを失ったことだ」。

 ドイツ語を習得すると、西ドイツ支店での仕事が本格的に始まった。仕事は、製鉄機械、産業機械、電子機器などの輸出入。毎日のように朝早くデュッセルドルフを出発し、ベルギー、ルクセンブルグ、オランダなどの取引先を車で1日のうちに回った。さらにはオーストリアにまでへ飛行機で移動するなど精力的に働いた。
 しかし、息抜きも欠かさない。ウィーンではコンサート、ベルギーのアーヘンにあるカジノへ繰り出すこともあった。また、デュッセルドルフは、その当時でも日本企業が進出しており、和食のレストラン、スーパーもあった。
 御厨にとって、仕事もプライベートも充実した西ドイツ勤務であった。しかし、わずか1年で次なる地――ロンドン支店への転勤命令が下された。

(ロンドン編へつづく)

【文・構成:山下 康太】

<プロフィール>
御厨 幸弘 (みくりや ゆきひろ)御厨 幸弘 (みくりや ゆきひろ)
1952年9月4日佐賀県生まれ。71年、佐賀県立北高校卒。77年、東京経済大学経営学部を卒業し、大倉商事(株)へ入社。数々の海外駐在勤務を経験する。93年、同社を退社し、(株)岩田屋の子会社にあたるiDSトレーディング(株)へ入社。95年、同社を退社し、96年、(株)ミックコーポレーションを設立。現在に至る。


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