前回(2006年)の市長選挙は、山崎広太郎前市長支持者と、「利権構造があまりにもミエミエな山崎広太郎では嫌」というグループとの対立であった。いうなれば吉田宏の支持者にとっては、彼の政策や人柄などどうでもよかったのである。
3期続いた山崎市政のほころびがあらわになったこともあって、敵失で拾った市長の椅子であった。当初は高山候補と競るのが精一杯といわれていた吉田宏が得票を伸ばしたのは、民主党の推薦を取り付けたこととともに、山崎市長(当時)を落とすために吉田に票を集中させようとして、数々の市民グループが必死になって運動したことの結果である。
市民グループのひとつに、「『市長・吉田』を生み出したへその緒」という意味で吉田市長自らが命名した「へその緒会」という会がある。会の構成メンバーなど明らかではないが、市内の有力企業の一部と個人企業家(その多くは自民党支持者だったという)がその実体といわれる。この会は、吉田市長を囲む会を当選後もたびたび行ない、2年前には市長の後援会結成(選管に届け出る正式なもの)に進もうとした。ところが後援会旗揚げを機に400人規模の集会を準備しながら、市長の要請で中止となり、結局、雲散霧消してしまったという。
その集会に参加していたある社長は、「楽しみにしていた励ます会が急遽中止になったと責任者から聞いた。その後、季節ごとに行われていた通常の会合も開催されなくなった。なぜかと聞いても、市長の業務が忙しいからとしか報告がない。そしたら別の筋から、九電工の橋田社長に後援会のことを相談した吉田市長が、『自分たちがそれは作る。市長になったのだから下々の者との付き合いは注意したほうがいい』と言われて止めたという話を聞いた。むろん噂話ですが、その後、まったくこの会が開かれなくなったことから、それもあり得ると思います」と語ってくれた。
また「こども病院の人工島移転に反対する会」に所属していた民主党支持の中小企業の社長は、「あれだけ嘘をつかれるとちょっと呆れるね。西日本新聞の経済部長だったからですかね。エスタブリッシュメントが大好きみたいで。われわれと固い握手を交わしたのは何だったのですか」と語った。
吉田宏市長の評判が悪いのは予測していたが、かつての熱烈な支持者たちの冷めた声を聞くと、"やはり"という感を抱くのである。
【勢野 進】
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