10月8日から10日まで、慶尚南道(ケイショウナムド)韓日親善協会主催の「韓国伝統文化体験会(以下、文化体験会)」に参加した。私が参加した福岡県日韓親善協会は、1975年に福岡の経済界と在日韓国民団が協力して、民間交流の窓口となるべく発足。30年以上に渡り、講演会の開催や文化の紹介を行ない、青少年やスポーツなどの交流を図ってきた。その姉妹協会である慶尚南道韓日親善協会は、韓国と日本の間の文化交流を両国の政府ではなく、民間レベルで行なうために設立し、来年で設立30周年を向かえる。このような韓国と日本の交流は毎年プログラムを変えて行なわれているとのこと。
今回の文化体験会は、韓国の伝統文化を日本人に体験・勉強してもらうため行なわれ、日本からは、福岡だけではなく山口・富山・広島から計23名の女性が参加した。
この文化体験会を通じて知り得た、韓国の文化・歴史を写真とともに紹介していく。
私は、大学生時代にハングル語を勉強し韓国に興味を持ち、韓国映画やドラマをよく見ていたが、映画やテレビに映る韓国伝統文化を実際に肌で体験したいと以前から感じており、今回の文化体験会への参加を申し込んだ。
祖母の実家がある対馬では、8月上旬にアリラン祭りが開催される。祭りのなかでは江戸時代、日本に派遣された「朝鮮通信使」の行列を韓国の民族衣装を着て再現するなど、日韓交流イベントが行なわれる。
また、私が好きなサッカー・フィギア・ゴルフなどスポーツ界では、韓国と日本は互いにライバルとして切磋琢磨してきたと感じており、韓国に親近感を抱いていた。そんなか、第二次世界大戦など過去の日本と韓国の歴史からも、韓国の人は内心は日本人のことを良く思っていないのだとも一部で感じていた。
10月8日の朝10時に博多港国際ターミナルから国際船「BEETLE」で出発し、12時55分に韓国釜山に到着。約3時間の旅だった。福岡の博多港から九州郵船で私の実家がある長崎県壱岐島にいくのに高速船だと約1時間。フェリーだと約2時間半。私が帰省時によく使用するのはフェリー。フェリーは玄界灘を通るので、冬など海がよく荒れる。その度に、壱岐までの所要時間も伸び3時間かかってようやく帰省したことさえあった。船酔いにもなり必死の思いだ。このことから韓国釜山まで約3時間だと、とても海外に来たという感覚ではなかった。
最初に訪れたのは、晋州(チンジュ)城の直ぐ隣を流れている南江(ナムガン)で10月1日から12日まで行なわれていた「晋州南江流燈(チンジュナムガンリュウトウ)祭り」。その南江の周りには出店が並び、日本の夏祭りを思い出すような雰囲気であった。
時はさかのぼり1592年、豊臣秀吉が「明(中国)」の征服を目指して1592年に朝鮮に出兵した『文禄・慶長の役』。その戦いで晋州城も戦地となった。その晋州城内にいた兵が城外の援軍に送った軍の通信用の燈籠(とうろう)が、この「晋州南江流燈祭り」の起源になったと言われている。その後もこの戦いで戦死した兵や民間人の霊を慰めるために続けられた。今では、南江にその年その年のテーマ(2010年のテーマは、「踊りと灯」)であるいろんな形の燈籠が浮かべられ、直ぐ近くの陸には燈籠で作ったアーチがある。このアーチに使われている燈籠には宗教関係なく家族の幸せや健康を願う短冊が一緒に張られており幻想的な空間を作っていた。
祭り会場は、雨にも関わらず世界各国からの観光客を集めていた。この祭りで、晋州市は1年のなか一番活気づくのである。
【長嶋 絵美】
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