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経済小説

大倉マンの青春・世界放浪記(1)~日本マクドナルド1号店
経済小説
2010年10月27日 10:00

 1971年3月某日夕刻、後に大倉マンとして世界を股にかける御厨は、木造造りの佐賀駅ホームに立っていた。高校の友人からの見送りを受け、ブルートレイン「さくら」で東京に向かうためである。
東京駅 「さくら」は寝台列車であったが、これから始まる東京生活への期待で、気が高ぶりとても寝付けなかった。本を読んだり、真っ暗な窓の外を観たりしているうちに、結局、一睡もしないまま、早朝、東京駅へ着いてしまった。
 東京の高層ビル群を初めて目にした。佐賀の田舎者にとっては驚きの連続。その当時、理由はよくわからないが、とにかく東京に行きたいという想いを抱いていた。

 大学生活がスタートし、徐々に友達もでき、東京の生活にも慣れた。次はアルバイトである。ちょうどその年の7月20日、銀座三越内交差点角にテイクアウト専門店として日本マクドナルド1号店が開店した。偶然、御厨はアルバイトのオープニングスタッフとして働くことになった。
 そこで仲良くなった友人のひとりが藤田元氏であった。色々話をするうちに、彼の父親が日本マクドナルドの創立者であり、有名な実業家である藤田 田(ふじた・でん)氏であることを知った。もっとも、その当時の御厨は藤田 田氏のことは、全然知らなかったが...。
 藤田 田氏は、ソフトバンクの創業者・孫正義氏が高校生のとき、何度も藤田田氏のところで門前払いされるものの、しつこく訪問。最後に会うことができ、「渡米しようと何をすべきか」と問うたところ、コンピューター関連を学ぶよう助言されたという有名なエピソードを後に知った。

 しかし、御厨が今でも鮮明に覚えているのは、日本マクドナルド1号店に詰めかけたものすごい数の客の様子である。週末ともなると、黒山の人だかりができ、厨房内は戦場と化した。もっとも、この店を皮切りに、マクドナルドが単体ブランドとして日本における外食産業のトップに君臨するとは、当時の御厨には思いもつかなかった。
 この後、御厨は、日本だけでなく外国においてもさまざまなバイトをする。そのほとんどが飲食業。その原点がマクドナルドのアルバイトであり、後年、調理師の資格をとるきっかけであったと御厨は振り返る。

(つづく)

【文・構成:山下 康太】

<プロフィール>
御厨 幸弘 (みくりや ゆきひろ)御厨 幸弘 (みくりや ゆきひろ)
1952年9月4日佐賀県生まれ。71年、佐賀県立佐賀北高校卒。77年、東京経済大学経営学部を卒業し、大倉商事(株)へ入社。数々の海外駐在勤務を経験する。93年、同社を退社し、(株)岩田屋の子会社にあたるiDSトレーディング(株)へ入社。95年、同社を退社し、96年、(株)ミックコーポレーションを設立。現在に至る。


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