タマホーム・玉木康裕社長&アパマンショップホールディングス・大村浩次社長 対談所感
タマホーム・玉木康裕社長、アパマンショップホールディングス・大村浩次社長ともに、福岡からわずかな期間で東京に進出して、業界を制した雄であることは共通している。今回のリーマン・ショックで2社とも業績のブレーキがかかった。ここからの建て直しは2社とも素早かったことも共通している。この対談所感をまとめてみる。
<相互に一頓挫を経験>
タマホームの設立は1998年6月だ。10年足らずで年商1,000億円を突破した。驚異的な躍進テンポであった。08年9月のリーマン・ショックの影響で、金融機関が住宅ローンの融資規制に乗りだした。タマホームとしては、お客からの契約案件を数多く抱えているにもかかわらず、途方にくれた。09年8月から玉木社長が心労からくる股関節の痛みに襲われた。対外活動すら自粛しなければならない状態であった。同氏にとって、体調不良で身動きが取れない事態とは初めての経験である。
当然のごとく「タマホーム危うし」と噂が流れた。ところが、一転して風向きがチェンジした。エコポイント付の内需喚起政策が打ち出された。その効果が住宅購入にも現れた。住宅ローンにおいても「フラット35」が浸透して売れ行きが回復した。タマホームは前期(2010年5月期)において、すべての負の資産を償却する対策を打った。赤字決算にさせたのは、次への攻略へのステップを踏み出すための狙いがあったのだ。
アパマンショップホールディングス(以降、アパマンと呼ぶ)の大村社長は、現在45歳だ。同氏は22歳の不動産営業マン時代から、業界では名を馳せていた傑物であった。99年10月に同社を設立させ、01年3月大阪証券取引所(ナスダックジャパン)に上場を果たしたのである。大村氏36歳のときのことだ。知り合って14年で上場させた早業には、この筆者もさすがに驚いた。福岡の若手経営者には、相当な刺激を与える存在となった。
一番、驚かせたのは北九州の名門・小倉興産を企業買収したことである。時は05年3月のことだ。住友金属の子会社の不動産会社を掌握したことで、関係者には驚きの声があがった。JR小倉駅の北側一帯の膨大な不動産を手にしたのだ。当時、「小が大を食った」と賞賛と妬みが交錯した不思議な評価が定まった。ともあれ、「アパマン=大村」の名を轟かせたのは間違いない。小倉興産この勢いに乗じて業容の拡大を図った。不動産金融スキームを駆使した資金調達で、不動産賃値情報業界のトップに踊りでたのだ。
だが、躍進が永続するものではない。これまたリーマン・ショックの影響を受けてというより、それ以前に金融引き締めによる不動産市況の悪化でアパマンの業績は急降下した。08年9月期には大きな赤字を計上して、スピーディな形勢建て直し策を講じたのである。大村氏にしてみれば、経営者人生において初めての挫折であった。
誰しもが常勝街道を快走できるわけがない。いつかは必ず厚い壁に弾き飛ばされる。並みの者ならば、これで将来が遮断される。並みでない「タマホーム・玉木社長」、「アパマン・大村社長」の2人が、この一時的頓挫から短期間で這い上がるメドをつけた。どうして可能であったのか。
まずは(1)には、「2人には凡人にない強運を有していること」は納得できる。(2)には、2人が実需ビジネスに特化していたからである。そして2社の業種は、資金回転の効率が良いことに特性があったからだ(この点は最後に触れる)。
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