植木氏の決断への評価は辛らつだ。「投げだし」との指摘に「支援者が最もかわいそう」という声があとをたたない。この時期に決断すればこういう事態に陥ることは容易に予想されたはず。それでも撤退したことに何か意味があるのか。ある候補者は「選挙は1番にならなければ意味がない」と力説する。確かに、当選できなければ落選も撤退も「市長になれなかった人」という点では同じだ。当選者の勝因に「植木氏から流れた票」という要素が含まれるならば、評価は別として植木氏の決断に意味付けがなされる。しかし、市民や支援者を振り回した結果はどうなるのか。以下、有権者の声を紹介する。
○「一度思い立ったことを途中でやめるのはイメージダウン。今後、責任のある仕事はできないだろう。応援しようと思っていたのに残念...」(女性経営者A氏)。
○「理由が理由だけにありえない。それも最初から分かっていたことだ。撤退の決断も上のほうだけで決めてしまい、支持者という市民の意思を無視している。保身のために辞めたような印象を受ける」(男性経営者B氏)
○「告示前に決断すべき。すでに期日前投票をしている人もいる。テレビの討論会を見たとき、人の話を聞かない雰囲気がうかがえた」(男性税理士C氏)
○「知人に植木氏を熱心に応援していた人がいる。植木氏直筆の手紙を配り、支持を呼びかけていた。そうした人たちの顔をつぶした」(女性経営者D氏)
○「政党の推薦が得られず、それでも"市民派"として立ち上がったことに好感を抱いていた。このような結果になったことで失望した」(男性会社員E氏)
○「植木さんは、いままで清廉潔白で最後まであきらめない人であり、福岡市に新風を入れる女性と思っていました。完全に裏切られました。今後、市民はこのような人を候補にひっぱり出してはいけません」(ご意見メールF氏)
○「すでに期日前投票で入れた。何の為に支持したかわからない。まったくもって無責任だ。仲間(支持者)もみんな怒っている」(男性行政書士G氏)
○「市幹部OBなので、市役所のリーダーとして期待していたが、あんな自分勝手な行動をとるとは思わなかった」(女性会社員H氏)
○「すでに票を入れた人もいる。その方たちに対して無責任だ」(男性塾講師I氏)
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